榎本直樹

榎本 直樹(えのもと なおき、1948年7月10日 - )は、三重県南牟婁郡御浜町[1]出身の元プロ野球選手投手)。

榎本 直樹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県南牟婁郡御浜町
生年月日 (1948-07-10) 1948年7月10日(75歳)
身長
体重
178 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト2位
初出場 1972年9月25日
最終出場 1977年8月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

三重高校では1966年に、エース水谷孝の控え投手として春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では2回戦(初戦)で宇部商に敗れ、榎本の登板機会はなかった。夏の選手権では2回戦に進出するが、平安門野利治池田信夫両投手の継投の前に2-7で敗退。この試合で水谷をリリーフし、1イニングだけ登板した。

高校卒業後は、中京大学に進み、愛知大学野球リーグでは1968年秋季リーグから1970年秋季リーグまでの連覇に貢献。3年生春から4季連続で最優秀選手とベストナインに選ばれた。1970年全日本大学野球選手権では、決勝で山口高志投手を擁する関西大学を降し、愛知大学野球連盟代表として初優勝を飾る。ただ山口は法大との準決勝で延長20回を投げ抜いており、この試合は登板を回避した。同年の明治神宮野球大会では、決勝でエース川端理史らのいた東海大学に敗れ準優勝にとどまった。愛知大学リーグ通算59試合登板、36勝7敗、防御率1.15、266奪三振。

大学4年時の1970年秋には、ドラフト会議大洋ホエールズから6位指名を受けるも、プロ入りを拒否[1]。翌年、北海道拓殖銀行へ入行した。1971年北海道大会で最優秀選手となる。

ドラフト会議ヤクルトアトムズに2位指名され、入団[1]。最も活躍したのは2年目の1973年で、松岡弘に次ぐ23試合に先発し5勝4敗、規定投球回(13位)にも到達した。しかし翌年は未勝利に終わり、その後は主に中継ぎとして起用された。

1976年オフに、瀬戸和則投手との交換トレードで広島東洋カープへ移籍するも10試合のみの登板に留まり、1978年暮れに引退した[1]。引退後は北海道にある夫人の実家で酪農業に従事する。

選手としての特徴

左のサイドスローから、スライダーシンカーフォークボールなどの変化球を繰り出す、抜群のコントロールで勝負する技巧派投手。中でも特に、左腕特有の縦に割れるカーブは評価が高い。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1972 ヤクルト 4100011----.5004110.0814001400443.601.20
1973 372310054----.556597146.1117165171742051442.711.15
1974 125000020--.00010823.23141110100019176.381.77
1975 100000000------4511.192200300554.090.97
1976 222000110--.50013431.0316121090021164.651.39
1977 広島 100000010--.000193.071300200339.003.33
通算:6年 9531100790--.438944225.120330839111220103893.561.27

背番号

  • 13 (1972年 - 1976年)
  • 47 (1977年 - 1978年)

脚注

  1. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、92ページ

関連項目

外部リンク

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