池田得太郎
人物・来歴
東京日本橋生まれ。日本大学工学部中退。1958年、学生時代に「家畜小屋」を中央公論新人賞に応募。受賞できず佳作止まりだったが、選考委員三島由紀夫の絶賛を受けて『中央公論』に掲載され、第40回芥川賞候補となる。四人の子供を育てながら日立製作所でサラリーマン生活をしつつ、1972年から再度作品を発表、1976年『野性時代』に掲載された「ノアの箱舟殺人事件」が最後の作品となっている[2]。
著書
脚注
- 『著作権台帳』
- 「ノアの箱舟殺人事件」著者紹介より
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