沢田知代
沢田 知代(さわだ ともよ、1969年4月2日 - )は、岡山県岡山市出身の元サッカー選手。
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | サワダ トモヨ | |||||
| ラテン文字 | SAWADA Tomoyo | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年4月2日(55歳) | |||||
| 出身地 | 岡山県岡山市 | |||||
| 身長 | 161cm[1] | |||||
| 体重 | 60kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1992-? |
| () | ||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ポジションは、GK。
来歴
幼少期は、ドッジボールやソフトボールをはじめ、屋外でできるスポーツは何でもやるほど、元気な女の子[2] だった。岡山市立吉備小学校[3] から、岡山市立吉備中学校[3] へと進み、倉敷中央高校[3] ではソフトボール部に所属[1] していた。その後、就実女子大学[3](現・就実大学)へ進学。サッカーは好きで、興味は持っていた[2] が、たもたま、大学に女子サッカー部があり[2]、「型にはまらず自分で判断してプレーする機会が多い」ことから入部[1] した。女子サッカー部では、山下立次から指導を受け[1]、ゴールキーパーとして試合に出場[1] し、2年生からレギュラー[1] となった。1991年度岡山県選手権では、優勝の原動力となり、チームの柱として活躍[1] した。1991年、大学を訪れた旭国際バニーズ(現・バニーズ京都SC)の、河本雅彦監督が入部を勧め[1]、1992年、日本女子サッカーリーグ所属の同部に加入。加入後は、関西女子サッカーリーグ3位[3]、兵庫県大会では優勝[3] の原動力となり活躍した。
人物
パントキックからの攻撃や、セービングなどが得意。[2]
的確なキャッチングと、抜群のキック力が武器。[1]
山下立次は、「相手選手の足元のボールに果敢に飛び込んでいくなど、並外れたガッツの持ち主」と評している[1]。
脚注
- 日本女子リーグチーム 旭国際バニーズに近く入部 サッカーの沢田さん(就実女子大)県下からは初めて 正選手獲得に意欲を燃やす, 山陽新聞朝刊, (1992-2-17)
- 『ももちゃんとカット君のサッカー教室』61頁。
- 『ももちゃんとカット君のサッカー教室』60頁。
参考文献
- 『ももちゃんとカット君のサッカー教室 岡山県サッカー協会編』 山陽新聞社、1993年。ISBN 4-88197-474-2
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