河合米田

河合 米田(かわい べいでん、1879年明治12年〉 - 1950年昭和25年〉)は、日本画家講師[1]岐阜県出身。

生涯

1902年明治35年)2月、岐阜県加茂郡加治田村(現在の富加町)下町の河合由兵衛の養子となる(妻・みか)。

本業の傍ら、愛知県半田市山本石荘に師事し、南画を習得。

1921年(大正10年)、妻が亡くなった為、家業を長子の義文に譲る。

京都を出て、下京区選仏寺梶浦逸外師の元で寄宿し、画業を精進し、一家を成す。

太平洋戦争となり、立命館大学工学部刀剣鍛錬講師として学生の指導に当たる。

1944年(昭和19年)、海津郡今尾町平田町を経て、現在は海津市)にお千代保稲荷神官の好意により疎開。制作に打ち込んだ。同地で死去[2]

逸話

  • 富加町史上巻・下巻の扉絵は米田筆である[3]
  • 富加町史に河合米田の正装写真が載っている[4]
  • みのかも文化の森 美濃加茂市民ミュージアムにて米田の絵画の一部が保存されている[5]

参考文献

  • 富加町史

関連項目

脚注

  1. 富加町史通史編 付録
  2. 富加町史通史編 七一才で同地で逝去
  3. 龍福寺所蔵
  4. 富加町史通史編 付録 一人と業績 15頁
  5. みのかも文化の森 美術作品(作家情報 詳細)

外部リンク

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