三音英次
来歴
大分県の出身、4歳で母、6歳で父が亡くなり叔父の元で生家したが叔父も亡くなり、仕事を求めて来阪し釜ヶ崎の住人になる。
1962年12月に新世界新花月に芸人(河内音頭をベースとした音頭取りという肩書、三味線:国府春子、太鼓:伊藤輝夫)として初舞台。1967年に吹き込んだ釜ヶ崎人情が60万枚のヒットとなる[1]。
その後廃業、タクシー運転手に転業したが速度違反を撮影された警察車両に放火し、服役、2003年にがんで死去[1]。
レコード
- 釜ヶ崎人情
- お天道さん見ててんか
- 人生あばれ太鼓
- 根性一筋
- 男一文字
- アンコ暮し
- どたんこ人生
出典
- asahi.com(朝日新聞社):もう天国とは歌えんねぇ - ニッポン人脈記 朝日新聞Digital
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.