津軽一統志
概要
1727年(享保12年)、弘前藩5代藩主津軽信壽が重臣喜多村政方に命じて編纂が進められるが、2年後に政方が急逝したために桜庭正盈・相坂則武・伊東祐則の3名が引き継いだ。彼らは藩内の旧家・寺社の古文書を蒐集するとともに、津軽為信の津軽統一に従った家あるいは為信と敵対して後に津軽氏に従った家に対して史料の提出を求めている。
大浦光信が南部氏に種里城を与えられてから、先代藩主津軽信政までの250年間余りの歴史を編年体にて記し、特に津軽藩祖である為信の津軽統一の事績を6巻(巻2-7)にわたって記し、また信壽の父である信政の名君ぶりと寛文蝦夷蜂起の際に松前藩を助けて江戸幕府から高く評価されたことを強調(巻9後半-10巻)している。
「全巻に編者たちの公正な姿勢と苦労のあとがうかがわれる見事な史書である」とする評価[1]がある反面、「一定の潤色が見られ、記述をそのままに受け取れない」とする評価[2]もみられる。
脚注
- 稲葉『青森県百科事典』
- 浪川『日本史大事典』
参考文献
- 長谷川成一「津軽一統志」『国史大辞典 15』吉川弘文館(1996年) P118
- 稲葉克夫「津軽一統志」『青森県百科事典』東奥日報社(1981年) P583
- 浪川健治「津軽一統志」『日本史大事典 4』平凡社(1993年) P1068
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