海野勝珉
略伝
常陸国・水戸にて、伝右衛門の四男として生まれる。叔父にあたり水戸藩士だった初代・海野美盛に金属彫刻を学ぶ。更に美盛の紹介で、当時水戸彫金界の泰斗だった同藩士・萩谷勝平から金属工芸の諸技術を収めて、基平と名乗った。「勝珉」の名は、師・萩谷勝平の「勝」と江戸時代の名彫金家・横谷宗珉の「珉」を合わせ後に名乗ったものと考えられる。また水戸時代には、安達梅渓に絵を、武庄次郎に漢籍も学び、高い教養も身につけている。
明治初年上京、明治9年(1876年)駒込千駄木町で開業した。明治10年(1877年)第1回内国勧業博覧会、明治14年(1881年)第2回内国勧業博覧会で褒状。明治23年(1890年)、第3回同博覧会で「蘭陵王」で妙技一等賞。翌年東京美術学校助教授となり、先達で同校教授だった加納夏雄に師事し更なる研鑽を積む。明治27年(1894年)同教授、翌年の第4回内国勧業博覧会では審査員。明治29年(1896年)6月30日には帝室技芸員を拝命[1]。明治38年(1905年)加納に続き勲六等瑞宝章受章。大正4年に逝去後は、従四位勲四等に叙せられた。
加納と同じく、鋭角な刃先を持つ小刀のような鑿で金属を彫る片切彫を得意とした。また象嵌にも優れ、多種の金属を組み合わせる事で豊かな色彩表現を可能としている。
代表作

蘭陵王置物、重要文化財(2022年度指定)
- 太平楽置物
脚注
- 『官報』第3901号、明治29年7月1日。
- 明治の彫金 p.20 - p.30. 三の丸尚蔵館
- 文化審議会の答申(国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録)II.解説 p.22-23
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
