渡辺香墨
略歴・人物
1866年(慶應2年5月27日)、常陸国稲敷郡君原村に生まれる。1886年(明治19年)に東京法学校(現・法政大学)卒業し、裁判官となる。1894年(明治27年)、正岡子規の門人となる。 1898年(明治31年)に新潟県の裁判所に赴任し、新潟県における新派俳人の草分けとして活動、子規から『著き進歩を現したる者』として『東京に五城あり、越後に香墨あり、大阪に青々あり』とし、『香墨は漸を追ふて進む者基礎既に堅し』と評されている。1900年(明治33年)に台湾総督府法院の検察官として台湾に赴任、俳誌『相思樹』を創刊し、台湾俳句界の指導者的立場として活動する。また、在台中、毎年、子規にバナナを送っており、子規から『相別れてバナナ熟する事三度』という句を添えて礼状を送られている。
句集
- 『香墨句帖』
関連本
- 『渡辺香墨-俳人』市毛豊備 (双樹社、1952)
参考
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