満長武
生涯
祖父の満寵、父の満偉と同じく身長八尺に達し、満寵と同じ風格を有していた。24歳の時に大将軍掾となった。
諸葛誕の乱の際、満偉は病気のため従軍せず、満長武もその見舞いのため早々に軍を去った。これによって司馬昭の恨みを買った。
甘露5年(260年)[1]、甘露の変の際、掖門[2]を守っていた満長武は、司馬榦らの入城を拒んだ。このことを司馬昭によって罪に問われ、杖刑を受けて殺害された。
出典
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 満寵伝 s:zh:三國志/卷26#滿寵
脚注
- 『三国志』魏書 高貴郷公紀 s:zh:三國志/卷04#高貴鄉公
- 宮殿の正門の左右にある小さな門。掖門(えきもん)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 2024-03-30閲覧
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