烏洛侯
烏洛侯(うらくこう、拼音:Wūluòhóu)は、中国の北朝時代から唐代にかけて、現在の内モンゴル自治区フルンボイル市あたりに住んでいた遊牧民族。狩猟と農耕も兼業した。唐代は烏羅渾(うらこん、Wūluóhún)、あるいは烏羅護(うらご、Wūluóhù)と表記された[1]。
歴史
地理
地豆于の北、中国の代を去ること4500余里。烏洛侯国の西北には完水(黒龍江)があって東北の難水(松花江)と合流し、その他の小水もすべて難水に注いで東の海(オホーツク海)に出る。また西北へ20日行くと、于巳尼大水すなわち北海(バイカル湖)がある。つまり、烏洛侯国は現在の中華人民共和国内モンゴル自治区フルンボイル市にあたる。
習俗
冬は地下に部屋を掘り、夏は牧畜をする。豕(ぶた)が多く、穀麥がある。大君長はおらず、部落の莫弗(ばくふつ:部族長)が代々治めてきた。髪型は縄髪(三つ編み)で、皮の服を着て珠を装飾として身につける。民は勇しく、姦窃をしない。猟射を得意とする。楽器には箜篌(くご)があり、木槽革面に九弦を張っている。
唐代の記録として、「風俗は靺鞨と同じ」とある。
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