熊谷二郎
熊谷 二郎(くまがい じろう、1909年(明治42年)4月8日 - 1943年(昭和18年))は、日本の男性元プロボクサー。青森県出身。日本ボクシング草創期の強豪。
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | 熊谷 二郎 |
| 階級 | ウェルター級 |
| 国籍 |
|
| 誕生日 | 1909年(明治42年) |
| 出身地 | 青森県中津軽郡西目屋村 |
| 死没日 | 1943年(昭和18年) |
| スタイル | ボクサー・ファイター |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 88 |
| 勝ち | 49 |
| KO勝ち | 7 |
| 敗け | 17 |
| 引き分け | 19 |
| 無効試合 | 1中止、1ND(無判定試合) |
来歴
中津軽郡西目屋村の生まれ。日本拳闘倶楽部に入門、1926年(大正15年)に開催された第1回全日本アマチュア拳闘選手権大会で優勝するなどし、頭角を現す。
1930年(昭和5年)2月、アメリカ遠征中のプロデビュー戦は4回判定負けであり、このデビュー戦の相手は、後に世界チャンピオンとなり、鉄人ヘンリー・アームストロングと激闘を展開することになるバーニー・ロスだった。
帰国後は連戦連勝、平川末男、ボビー・ウィルス、植村竜郎、佐藤東洋ら幾多の強豪たちを次々と下して人気者となった。殊に熊谷の名を高めたのはボビー・ウィルスとの最初の試合で、1931年1月27日に日比谷公会堂で行われたこの試合では、日本人選手として初めてボビーを8R1分30秒TKOに下した。前年に行われたボビーとの試合で小林信夫が死亡して以来、誰もがそのパンチを恐れて対戦を避ける中、熊谷が名乗りを上げて初の勝利者となり「拳闘の神様」と称えられたが、終生タイトルには無縁であった。
ボビーとはこの後、同年9月にかけて4試合を行い、結果は6R中止、3R反則負け、3RKO勝利、10R判定勝利となった。1934年2月14日に行われた6戦目にも判定勝利を収め、その都度、満員の観衆から大歓声を送られた。
新聞配達や人力車夫の職歴が培った脚力とスタミナで、「ゴムまり戦法」と呼ばれる華麗なフットワークを身上とした。引退後は満州に渡ったが、1943年(昭和18年)、発疹チフスのため死亡。通算88戦をこなしたが、プロとしてのキャリアはわずか5年間に過ぎない。
獲得タイトル
参考文献
- 弓館小鰐『スポーツ人国記』 ポプラ書房 1934年
関連項目
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