熊野皇大神社

熊野皇大神社(くまのこうたいじんじゃ)は、碓氷峠に位置する神社

熊野皇大神社
所在地 鎮座地:長野県北佐久郡軽井沢町峠町1番地
位置 北緯36度22分10秒 東経138度39分22秒
主祭神 伊邪那美命日本武尊
速玉男命
事解男命天照大御神
社格 信濃国特別神社
創建 伝・110年景行天皇40年)
例祭 5月15日(春の例大祭)
10月15日(秋の例大祭)
主な神事 1月6日(御田遊神事)

概要

社殿は群馬県安中市長野県北佐久郡軽井沢町にまたがっており、参道と本宮の中央を県境が通る。長野県側は神社庁により特別神社に指定され、熊野皇大神社(くまのこうたいじんじゃ)と称する。主な社宮は3つであり、本宮は伊邪那美命、日本武尊(ヤマトタケル)、長野県側の那智宮は事解男命を祀る。群馬県側の新宮は速玉男命を祀る[1]

和歌山県熊野三山山形県熊野神社 (南陽市) と並び「日本三大熊野」と称される[2][3]

名称

かつては長倉神社熊野宮または長倉山熊野大権現と称した。社地が信濃国(長野県)と上野国(群馬県)の境界となり上野国も入ったため熊野宮と名称が短くなった[4]。また皇大神社、碓氷神社熊野大権現とも呼ばれたが、慶応4年(1868年)に熊野皇大神社に改称したという。そのあと、昭和に入り群馬県側に熊野神社ができた。

第二次世界大戦後に宗教法人法が制定された際、都道府県ごとに宗教法人登記が必要となった。このため一つの神社でありながら、県境を挟んで長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となった。近隣住民は、どちらの県側も峠山(とうげさん)と親しみを込めて呼ぶ[2]。社殿は一つの神社だが、宮司社務所賽銭箱お守り、ご祈祷は別々である。本殿前には群馬県側と長野県側のそれぞれに本坪鈴と賽銭箱が置かれている。

こうした立地を生かして、熊野皇大神社は2018年1月に「境界御守」を売り出した。「自分の限界を乗り越えろ」という意味を込めたという[5]。長野県側の熊野皇大神社は、軽井沢の総氏神でもある。

歴史

社伝によれば、ヤマトタケルが東征の帰路で碓氷峠に差し掛かった際、濃霧が生じて道に迷った。この時に一羽の八咫烏の葉を咥えて道案内をし、無事に頂上に着いたことを感謝して熊野の神を勧請したのが熊野皇大神社の由来だとされる[1]

古代東山道は当社の南方の入山峠を通っていたと考えられ、中山道にあたる新道が開通した時に現在地に遷座したという説もある。鎌倉時代1292年5月3日正応5年4月8日)に松井田一結衆が奉納したには「臼井到下今熊野大鐘事」とある。なお1354年文和3年)に奉納された多重塔に「当社権現」と刻されることなどから、神仏混淆となっており、神宮寺や仁王門もあったとされる。神宮寺は後に軽井沢町に移転したという[6]

江戸時代中山道の要所にあることから賑わい、元禄8年(1695年)には越後高田藩主松平定逵の通行の際には吉例祈祷をして初穂料として金100を奉納される[7]など、大名の中山道通行の際に祈祷を行なうこともあった。また上州(上野国)では武術が盛んなことから各流派による額の奉納も多く、文政9年(1826年)に気楽流飯塚臥龍斎天保2年(1831年)に真神道流柔術の片山庄左衛門、弘化2年(1845年)には日置流弓術の酒井数馬が、それぞれ奉納を行なっている。

社家

社家が両国に分れていたため他にも争論が起きており、寛文2年(1662年)に信濃側の神宮寺が上野国の社人に無断で国境を越えて小屋を設けたため、その取り消しを求める裁許が下された。寛文4年(1664年)には

  • 三所権現は両国の社人が相談して守護する。
  • 新宮は上野、那智社は信濃の社人が守護する。
  • 本宮は両国の社人が1年交替で守護し、当番でない年でも神事や祭礼を勤める。

との裁許状が出された。享保元年(1716年)には両国にまたがる権現の森の立木を伐採した社人が罰せられている。

社家の中では神主禰宜の区別がなく、氏子牛王宝印を供与したり初穂を受け取ったりするなどして生計を立てていた[8]。なお、宝暦年間には両社家の間で通婚も行なわれている[9]

以前は例大祭は群馬県側と長野県側の合同で行われ、春の例大祭は熊野神社(群馬県側)が、秋の例大祭は熊野皇大神社(長野県側)が先に祝詞を上げるなど、互いに配慮し合っていた[2]が現在は各々行うように変更された。

その他

長野県側にあるシナノキは長野県の天然記念物に指定されていて、樹齢850余年と伝えられる巨木である。幹の割れ目にを収めた神木でもあり、漫画家の荒木飛呂彦が祈願成就の御礼にと奉納したイラスト(日本武尊と妻弟橘姫)にも描かれている[10]

参道の階段脇に佇む狛犬は室町中期のものとされ、長野県で最古の狛犬と伝えられている。

境内の端には碓氷川の水源があり、近隣の人々が飲料に用いてきた。

参考文献

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館(『日本歴史地名大系』平凡社、1979年 - 2002年を基にしたデータベース)
  • 数馬広二「碓氷峠・熊野皇大神社の武術奉納額について」『工学院大学共通課程研究論叢』43巻1号、pp.93 - 111、2005年
  • 風来堂 編 編『群馬・栃木・茨城 くらべてみたら? 「北関東三県」の不思議と謎』実業之日本社〈じっぴコンパクト新書364〉、2019年6月5日、191頁。ISBN 978-4-408-33862-0。

脚注

注釈

    出典

    1. 由緒と祭神 熊野皇大神社(2018年3月20日閲覧)
    2. 風来堂 編 2019, p. 152.
    3. 碓氷峠 熊野神社(2018年3月20日閲覧)
    4. 『由緒記』
    5. 「神社が真っ二つ?身近にある境界の不思議 信仰・税収からむ、人間くさい線」日経電子版(2018年2月10日)2018年3月20日閲覧
    6. 『安中志』
    7. 文化13年(1816年)『吉例祈祷献上願』
    8. 1773年安永2年)『峠村明細帳』
    9. 1753年(宝暦3年)『社家由緒書』
    10. 軽井沢の神社「ジョジョ」から御利益!?作者がイラスト奉納 ファン続々『東京新聞』夕刊2022年6月24日6面

    関連項目

    外部リンク

    This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.