狩野秀治
生涯
越中国神保氏の旧臣・狩野秀基の子という。はじめ出雲の尼子勝久に仕えていたともいわれる。
天正初年頃から越後上杉氏に仕え、御館の乱で上杉景勝方に与して頭角を現し、天正9年以降景勝の内政外交全般の取次ぎ役を担当するなど重用され、直江兼続と2人の執政体制に入る[1]。天正10年(1582年)12月晦日、讃岐守の官位を与えられた。
しかし病気がちであり、天正12年以降史料に見えないことから、この頃に病死したと思われる。
脚注
- 木村徳衛『直江兼続伝』(私家版、1944年)31-32頁
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