猪名寺廃寺跡
概要

塔心礎
藻川西岸の洪積台地上、現・佐璞丘公園(さぼくがおかこうえん)[1]に位置する。
昭和33年(1958年)までの発掘調査の結果、東に金堂、西に五重塔、これらを回廊が囲む伽藍配置が法隆寺とほぼ同等の寺院であった。川原寺式軒瓦など出土した瓦片から、創建時期は飛鳥時代後期の白鳳時代とされる。同様に出土した埴輪類から、寺院建立以前に古墳や住居が存在していた可能性も推定されている。
伽藍は天正6年(1577年)の荒木村重と織田信長の戦乱により焼失し、廃寺になったと推定されている。
同様に古くからあり、宝暦7年(1756年)に廃寺跡一画に再興された法園寺が猪名寺であったとする説もある[2]。
塔心礎 柱座と舎利孔
鴟尾断片
尼崎市立歴史博物館展示。
軒丸瓦・軒平瓦
尼崎市立歴史博物館展示。
脚注・参考文献
- 佐璞丘は、猪名寺の創建に関与した阿倍内麻呂が佐璞射(左大臣の漢名)だったことに由来しているといわれる。
- 『摂陽群談』巻第十四寺院ノ部下之一
関連項目
外部リンク
- 史跡・文化財散歩 猪名寺廃寺 - 尼崎市サイト
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
