猪名部百世
経歴
伊賀国(現在の三重県北西部)の人。造東大寺司の工人で東大寺大仏造立に従事する。東大寺盧舎那仏像は752年(天平勝宝4年)に開眼した。758年(天平宝字2年8月28日)の「造東大寺司解」に木工寮長上工(=常勤の技術監督官)正六位上とある。翌月の「造大殿所解」に写経料の銭250文、紙20張を納めており、大般若経の写経にもかかわっている。
『続日本紀』巻第二十八によると、767年(神護景雲元年2月)称徳天皇の東大寺行幸に際して、同寺造営の功労者として国中連公麻呂らとともに昇叙され、
造寺工(てらつくりのたくみ)正六位上猪名部百世(ゐなべ の ももよ)に外従五位下
とある[2]。『東大寺要録』には「大仏殿碑文」が引用され、それによると「伊賀国人大工従五位下」と記され、また従四位下で伊勢守兼東大寺領掌使に任じられたとある。
脚注
- 『日本書紀』応神天皇31年8月条
- 『続日本紀』称徳天皇 神護景雲元年2月4日条
参考文献
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