玉塚栄次郎
人物
東京市日本橋生まれ。旧姓は山崎。初代玉塚栄次郎の養子となり、1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業、玉塚證券入社。玉塚證券社長・会長、玉塚不動産社長、日本証券業協会会長などを歴任。1955年から1957年まで東京証券取引所理事長を務めた[1]。
1962年日本医科大学付属第一病院で胃癌のため死去。享年60。酒が飲めず、地味な性格で、夜の付き合いが苦手なため、敵がいないと評された[2]。
脚注
- 「玉塚栄次郎氏(2代目) 高利回りより低利回りねらい 市場経済研究所代表 鍋島高明」日本経済新聞2016/2/20 5:30日本経済新聞
- 朝日新聞1955年2月25日
- 「幼稚舎からの慶應ボーイが「キラキラの人生」を選ばない理由」ダイヤモンドオンライン2017.3.6
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