玉滝荘
概要
成立
母体は天徳2年(958年)に橘元実より東大寺に寄進された先祖相伝の墓所及びその周辺の杣から構成された玉滝杣(たまたきのそま・玉瀧杣)である。翌年、付近の杣の一円寺領化に成功した東大寺は周辺の山林や田畠に進出し、次々に寺領化していった。当時、東大寺は施設の修繕のために多くの材木を必要としており、更に杣から材木を伐採するための人員(杣工)が生計を立てるための田畠を確保する必要があった。もっとも、東大寺はこれらの土地の多くを雑役免田として領有し、形骸化した伊賀国内の封戸に替わる便補として更に官物の徴収権を得ることで実質的な支配権を確保していたに過ぎず、他者からの介入を受ける余地を有していた。
参考文献
- 黒田日出夫「玉滝荘」「玉滝杣」『国史大辞典 第9巻』吉川弘文館
- 勝山清次「玉滝杣」『日本史大事典 第4巻』平凡社
- 泉谷康夫「玉滝荘」『平安時代史事典』角川書店
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