瓠公
瓠公(ここう、生没年不詳)は、新羅の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。また金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。もとは倭人[1]とされる。新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。瓠(ひさご)を腰に下げて海を渡ってきたことからその名がついたと『三国史記』は伝えている[2][1]。
| 瓠公 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 호공 |
| 漢字: | 瓠公 |
| 発音: | ホゴン |
| 日本語読み: | ここう |
| ローマ字: | Hogong |
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠から取られているため、同一人物を指しているのではないかという説がある[3]。
また、脱解尼師今が新羅に着した時に瓠公の家を謀略で奪ったと言う。この瓠公の屋敷が後の月城(歴代新羅王の王城)となった[4]。
事績
脚註
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