甄城君
生涯
成宗の七男であり、生母は淑儀洪氏。
1506年、柳恩宗の家を奪った。それに不満を抱いた柳恩宗が酒に酔い、元自宅の前を通りながら“どうして他人の家を奪うのか”と尋ねたため、彼を陥れ殺害した[1]。
1507年、全山君李顆の謀反事件に連累、推戴を受けたということで、杆城に流罪となった。その後、無罪が認められ、翌年復権した[2]。
家族
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