甘棠院
甘棠院(かんとういん)は、埼玉県久喜市本町7丁目にある、第2代古河公方足利政氏が永正16年(1519年)に開いた寺院である。山号は永安山(えいあんざん)。臨済宗円覚寺派。
| 甘棠院 | |
|---|---|
![]() 中雀門(2011年12月) | |
| 所在地 | 埼玉県久喜市本町七丁目2-8 |
| 位置 | 北緯36度4分24.3秒 東経139度40分6.7秒 |
| 山号 | 永安山[1] |
| 宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
| 本尊 | 釈迦如来 |
| 創建年 | 永正16年(1519年)[1] |
| 開山 | 貞巖[1] |
| 開基 | 足利政氏[1] |
| 法人番号 | 3030005004354 |
歴史
永正16年(1519年)、久喜に隠退した足利政氏は自らの館を寺として永安山甘棠院とし、子の貞巖(ていがん)を開山とした。その後、政氏に従ってきた家臣たちにより守られ、近世に入ってからも、徳川歴代将軍から朱印地100石を賜る格式を誇っていた。記録によると、政氏が館を寺に改めたのち、建物は天文17年(1548年)に火災により消失[1]、翌年より再建に着手し、天文21年(1552年)に落成した。その後、天明2年(1782年)より4年がかりでさらに建て直しが行われている。さらに何回か手が加えられ、現在の本堂や庫裡は、昭和44年(1969年)からなされた大改修によって完成したものである。歴代住職についてみると、円覚寺や瑞泉寺との関係が深い。
甘棠院が所在している立地は住居表示以前かつて大字久喜本字馬場といい、周囲に比べ高台となっている。東側および西側は低地となっており、南側(南方)に久喜旧市街地が所在し、北側にはかつて大浦沼と称された湿地帯が所在していた[2][3]。
境内

甘棠院をめぐる水堀跡
- 本堂
- 墓地
- 梵鐘
- 足利政氏の墓
- 空堀 - 境内南側と西側に水堀跡が残る(現在は空堀)。
- 境内の井戸(現在は電動ポンプ)の水は、質がよいとされ、地元の寒梅酒造、小林酒造(現在は閉鎖、久喜市本町1丁目)などの酒蔵でこの水を日本酒の醸造に使用している。
- 境内北側の養護老人ホーム皆楽荘(久喜市上清久に移転)跡地は甘棠院史跡公園として整備されている。
- 境内南側の空堀南側には甘党院児童遊園という小さな公園が所在する。同公園内に山門および庚申塔が建立されている。
惣門
文化財
重要文化財(国指定)
- 紙本着色伝貞巖和尚画像
重要美術品(国認定)
- 十三仏版木
- 銅製九曜菊散双雀鏡 - 政氏夫人の遺品。
埼玉県指定有形文化財
- 絹本着色足利政氏像 - 政氏が没する10年前、55、6歳ごろの姿を写した寿像。
その他
甘棠院旧蔵の文化財
- 縹糸威最上胴丸具足(県指定有形文化財)(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵) - 政氏が幼年の頃に着用したもの。
- 道憲作十文字槍(県指定有形文化財)(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵) - 政氏の遺愛品。
- 源氏車紋鞍 付 障泥・鐙・轡(県指定有形文化財)(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵)
アクセス
脚注
- 新編武蔵風土記稿 久喜町.
- 第5回企画展 図録『絵図にみる久喜の歴史(7ページ〜10ページ)』 (PDF) 久喜市公文書館 - 旧久喜市ホームページ
- 甘棠院周辺の空中写真(1948年1月5日撮影) - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
- 市内循環バス - 久喜市ホームページ
外部リンク
- 足利政氏館跡及び墓 - 久喜市ホームページ
- 国指定文化財・国認定美術品 - 久喜市ホームページ
- 旧久喜市ホームページ
- 『開館記念 図録 甘棠院文書展』 久喜市公文書館 - 旧久喜市ホームページ
- 第5回企画展 図録『絵図にみる久喜の歴史』 (PDF) 久喜市公文書館 - 旧久喜市ホームページ
- 紙本著色伝貞巖和尚像 - 旧久喜市ホームページ
- 甘棠院史跡公園 - 旧久喜市ホームページ
- 「久喜駅西口コース」 久喜市観光ウォーキングマップ (PDF) - 久喜市ホームページ
- 「久喜市文化財散歩」 久喜市教育委員会 - 久喜市ホームページ
- 久喜ウォーキングマップ いにしえコース - 久喜市商工会ホームページ
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