甘酒茶屋
歴史
元和5年(1619年)の箱根関所設置から数年の間に畑宿と箱根宿の間に位置する大井平地区には4軒の茶屋ができた[1]。これらの茶屋ではお茶や甘酒、軽食が提供され、飛脚の起点もあり馬小屋も設けられていた[1]。
忠臣蔵の講談や戯曲で知られる神崎与五郎詫証文の舞台となった(実際には大高忠雄(源吾)の三島宿での逸話ともいう)[2]。
国道1号の開通で交通量が減少したため他の茶屋が閉鎖される中、一軒だけ残り「甘酒茶屋」として営業を続けている[1]。茅葺き屋根の建物は元は街道の反対側に立っていた建物を古い資材を使い2009年に再建したものである[1]。
脚注
- “旧街道石畳、甘酒茶屋”. 国土交通省. 2023年4月22日閲覧。
- “「箱根旧街道を歩く」”. 佐倉市民ハイキングクラブ. 2023年4月22日閲覧。
- “甘酒茶屋”. 神奈川県. 2023年4月22日閲覧。
参考文献(展示)・外部リンク
- 箱根街道資料館資料
- 人力 甘酒茶屋
- “東海道 箱根 甘酒茶屋”. 和菓子街道. 2010年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。
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