田村宣武
田村 宣武(たむら のぶたけ、1893年(明治26年)9月25日[1] - 1988年(昭和63年)7月27日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
| 田村 宣武 | |
|---|---|
| 生誕 |
1893年9月25日 |
| 死没 | 1988年7月27日(94歳没) |
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1915年 - 1945年 |
| 最終階級 |
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経歴
1893年(明治26年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期を卒業し[1]、1922年(大正11年)3月に陸軍派遣学生として東京帝国大学工学部冶金学科を卒業した[2]。1937年(昭和12年)8月に陸軍技術本部仏国駐在官に就任し[3]、1938年(昭和13年)3月に陸軍砲兵大佐に進級した[3]。1939年(昭和14年)7月に大阪陸軍造兵廠研究所長に就任し[3]、1940年(昭和15年)4月に兼技能者養成所長となった[3]。
1941年(昭和16年)6月23日に陸軍技術本部附となり[3]、8月25日に陸軍少将に進級して[3]、1942年(昭和17年)に第8陸軍技術研究所長に就任した[1]。1945年(昭和20年)2月22日に名古屋陸軍造兵廠長に転じ[1]、3月15日に兼東海軍管区司令部附となり[4]、4月30日に陸軍中将に進級し終戦となった[3]。
脚注
- 福川 2001, 466頁.
- 秦 2005, 613頁.
- 外山 1981, 376頁.
- 「第63号 昭和20年3月19日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120936700
参考文献
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