由良比女神社
由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)は、島根県隠岐郡西ノ島町浦郷にある神社。式内社(名神大社)、隠岐国一宮で、旧社格は郷社。
| 由良比女神社 | |
|---|---|
![]() 拝殿 | |
| 所在地 | 島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922 |
| 位置 | 北緯36度5分30.9秒 東経132度59分16.2秒 |
| 主祭神 | 須勢理姫命 |
| 社格等 |
式内社(名神大) 隠岐国一宮 旧郷社 |
| 創建 | 不詳 |
| 本殿の様式 | 春日造変態 |
| 例祭 | 7月の最終土・日曜日 |
| 主な神事 | 神帰祭 (11月29日) |
| 地図 |
![]() 由良比女 神社 ![]() |
祭神
祭神は次の1柱。
- 須勢理姫命、地元では由良比女大神。
『延喜式』神名帳では「由良比女神社 名神大 元名和多須神」として、元は「和多須神」である旨が記載されており、祭神は海童神とも言われる。『袖中抄』や『土佐日記』には「ちぶり神」とある。
島前の伝承では、その昔、須勢理姫命が芋桶に乗って海を渡っているとき、海に浸した手をイカが引っ張った(噛み付いたともいう)お詫びとして毎年社前の浜にイカが押し寄せるようになったと言う。
歴史
概史
創建は不詳。
国史では、『続日本後紀』承和9年(842年)条において、由良比売命神(由良比女神社)・宇受加命神(中ノ島の宇受賀命神社)・水若酢命神(島後の水若酢神社)の3社が官社に預かる旨が記されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では隠岐国知夫郡に「由良比女神社 名神大 元名和多須神」と記載され、名神大社に列している。『隠岐国内神名帳』では「従三位上 由良姫大明神」と見える。
中世から江戸時代中期までは衰微。安永2年(1773年)、島前13村の庄屋により例大祭が復興された。近世以降は、隠岐国一宮を称した。
神階
- 従三位上 (『隠岐国内神名帳』) - 表記は「由良姫大明神」。
祭祀
境内

- 本殿
境内社
拝殿西側。左が出雲大社、中央が恵比寿宮、右が龍蛇社。
随身門
参道の左右に左大臣・右大臣像。
土俵
文化財
西ノ島町指定文化財
- 有形文化財
- 本殿(建造物) - 1982年(昭和57年)3月7日指定[5]。
伝承

海上鳥居(右下)のある社前の由良の浜は、毎年10月から翌年2月にかけてイカが押し寄せ、「いか寄せの浜」とも呼ばれる。知夫村の伝承では、本来知夫村の烏賊浜にあった当社が由良に移ってからは、イカは由良に集まるようになったという。
祭神である由良比女様が苧桶に乗って、遠い海からやってきたところ手で海水をかき分けながら浦に向かってこられる途中、烏賊が由良比女様の手を引っ張ったりかみついたりした。そのお詫びとして、毎年秋になると烏賊の大群が神社の正面の浜辺に押し寄せるようになった[6][7]。地元の者は由良比女様の霊験と言って喜び、水際に番小屋や多くの小屋を建て、家族総出で烏賊を掬いとった[6][8]。
元々、知夫里島の古海に鎮座していた由良比女神社が浦郷に移されてから、知夫里島に烏賊が寄らなくなったと伝えられている。また、西ノ島の者が知夫里島に烏賊が押し寄せるのをうらやましく思い、ご神体を盗んで浦郷地区に移転させたとも言われている[6]。この神様は神武天皇の時代、烏賊を手に持ち苧桶に乗って神社の鳥居の近くの畳石に出現された、という伝説が残っている[6][9]。
また一説に、この神様は須勢理姫命で、苧桶に乗って浦郷に来る途中で手を海水で洗った時、烏賊が戯れて神様の手に触ったため怒られたと言われている。毎年10月29日の由良比女様のお祭りの日は「神帰り」という御座入神事を行うが、烏賊が入り江に寄るのを「神帰り」の証としている。俗にこの神を「鯣大明神」というのはこのような烏賊との関係があったからである[6]。
脚注
- 西ノ島町(企画・編集)『隠岐 西ノ島アルバム 運河のある町』山陰中央新報社、157頁
- 西ノ島町観光協会『隠岐・西ノ島町』西ノ島町観光協会、15頁
- 川本貢功『隠岐 川本貢功写真集』山陰中央新報社、139頁
- 神村信幸『隠岐〜ふるさと案内記〜』臨川書店、141頁
- 西ノ島町指定文化財一覧 島根県
- 野津龍『隠岐島の伝説』日本写真出版、215〜216頁
- 西ノ島町小中学校教員会(編集)『ふるさと隠岐 西ノ島』西ノ島町小中学校教員会、87頁
- 西ノ島町立西ノ島中学校(編集)『郷土西ノ島』西ノ島町立西ノ島中学校、66頁
- 隠岐歴史民俗研究会『隠岐の国 散歩』隠岐観光協会、115〜116頁



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