畠山基徳
生涯
天保11年(1840年)5月7日、父・基利の死去により家督を相続する。天保13年(1842年)12月8日、高家職に就き、従五位下侍従[2]・上野介に叙任する。後に民部大輔に改める。嘉永3年(1850年)7月16日、病のため辞職する[2][3]。以後、雁間末席に列する。つまり、高家末席という優遇措置を得ることになった。
文久2年(1862年)3月29日、隠居し、息子・基永に家督を譲る。戊辰戦争中の慶応4年(1868年)3月10日、自領の陣屋(栃木市嘉右衛門町)に入った[3]。
脚注
- “高家旗本と近世鹿沼の人々〔上〕鹿沼の「お殿様」たち”. ジブンスタイルかぬま. 鹿沼市. 2023年9月20日閲覧。
- 東京大学史料編纂所 1963, p. 51.
- “高家旗本と近世鹿沼の人々〔下〕幕末・維新の鹿沼と高家”. ジブンスタイルかぬま. 鹿沼市. 2023年9月20日閲覧。
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