白山松哉
経歴・人物
江戸の生まれ。若くして小林好山及び蒲生盛和の門人となり、蒔絵や螺鈿、堆朱等を学ぶ。後に起立工商会社に勤務し、漆芸の制作に携わった。これによって、転職し1905年[1](明治38年)に東京美術大学(現在の東京芸術大学)にて教鞭を執り、翌1906年(明治39年)には帝室技芸員や農展の審査員(第5回と第6回)に採用された。
松哉の作風は「研ぎ出し蒔絵」と呼ばれ、極めて類もない緻密なものであった。この業績により、1881年(明治14年)に開催された第2回内国勧業博覧会や1900年(明治33年)に開催されたパリ万博では、名誉賞をそれぞれ受賞し海外でも有名な漆芸家となった。墓所は蓮華寺(東京都文京区小石川)に所在する。
脚注
- 1892年(明治25年)説もある。
出典
外部リンク
- 白山松哉『日月鳥鷺図蒔絵額』 - 美の巨人たち(テレビ東京)公式サイト
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