益田元道
生涯
元禄15年(1702年)、益田就賢の長男として生まれる。宝永7年(1710年)、父が病により隠居したため家督を相続する。享保4年(1719年)、大頭役に任じられ、藩主の毛利吉元、宗広の2代にわたって仕えた。吉元からは元服の際に偏諱(「元」の字)の授与を受けた。
享保11年(1726年)、須佐領内に唐船が漂着し、藩命により打払う。享保20年(1735年)、初代館長に京の儒学者品川希明を招き、郷校育英館を創建し、家臣子弟の学問を奨励した。育英館は幕末に人材を輩出し、育英小学校の前身となる。寛保2年(1742年)4月15日没、享年41。笠松山麓に葬られる。家督は益田一族である問田益田家の益田就高の二男繁沢利充(広尭)が養子となって相続した。
参考文献
- 「長陽従臣略系」(東京大学史料編纂所)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
