真蔵院 (埼玉県宮代町)

真蔵院(しんぞういん)は、埼玉県南埼玉郡宮代町にある真言宗智山派寺院

真蔵院
所在地 埼玉県南埼玉郡宮代町大字須賀1264
位置 北緯36度02分03.7秒 東経139度42分14.3秒
山号 医王山
院号 真蔵院
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
創建年 鎌倉時代
中興年 寛永2年(1625年
中興 俊雅法印
文化財 円空仏(如来形立像)(宮代町指定文化財)
法人番号 6030005007692
真蔵院の位置(埼玉県内)
真蔵院
真蔵院
真蔵院 (埼玉県)

歴史

鎌倉時代開山された。伊藤光重は鎌倉幕府の北条氏に仕えていたが、讒言を被り会津の草江貞氏に匿われた。北条時氏経時という記録もある)は、討伐軍を会津に派遣して光重を討ち取った。討伐軍は光重の首をに納め、鎌倉に帰還しようとしたが、当地に至って急に重くなり、動けなくなってしまった。櫃の蓋を外したところ、そこにあったのは光重の首ではなく薬師如来像の首であった。そのことを鎌倉の時氏に報告した。時氏は別途使者を会津に派遣したところ、光重は無傷で、ただ光重が尊崇していた薬師如来の首が無かった。また光重の罪が冤罪であることも判明し、時氏は光重を赦し、霊験あらたかな薬師如来の首を鎌倉に迎えようとしたが、重すぎて鎌倉に運ぶことができなかった。そのため、現地にて薬師堂を建てて安置することになった。これが当院の起源である。二十数年後に、胴体部分を改めて造り、首を繋ぎ合わせた[1][2][3]

1625年寛永2年)、俊雅法印によって中興された。なお光重の故事もあり、会津藩藩主参勤交代の際に当院に燈料を寄付し、武運長久の祈祷をすることが習わしとなっていた[4][1][2][3]

1901年明治34年)の火災で、薬師像は焼失してしまっている[1][2][3]

文化財

  • 円空仏(如来形立像)(宮代町指定文化財 平成24年3月31日指定)[5]

交通アクセス

脚注

  1. 医王山真蔵院略縁起 真蔵院宮代町郷土資料館
  2. 医王山真蔵院身代薬師如来縁起宮代町郷土資料館
  3. 薬師如来因縁記 真蔵院宮代町郷土資料館
  4. 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年、461p
  5. 指定文化財一覧宮代町

参考文献

  • 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年
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