石井忠恭
来歴
明治になって政府に出仕し、1872年(明治5年)に北畠治房、大久保親正らとともに、司法権少判事に任官する。
その後、長崎地方裁判所長、高知地方裁判所長、京都地方裁判所長を歴任し、1879年(明治12年)には大審院判事に就任。1888年(明治21年)には広島控訴院検事長に転任し、その後、大審院評定官をつとめた。
逸話
あるとき、盗賊が逮捕され、忠恭が取り調べをおこなった。そのとき、容疑者がなかなか自白しなかったため、忠恭はその容疑者に拷問をした。その様子をたまたま通りかかった明治政府の法律顧問ボアソナードがみて、裁判官がこのように容疑者を取り調べている当時の日本の司法制度の未熟さを嘆いたという逸話が残っている。 また、それをきっかけに、ボアソナードが、取り調べ中の拷問の禁止を政府に提言し、拷問が法律上禁止されることになった。
脚注
- 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。
- 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
- 『官報』第2136号「叙任及辞令」1890年8月12日。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 楠正位 広島控訴裁判所検事長 |
1886年 - 1890年 |
次代 春木義彰 |
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