石橋玄俊
経歴
若くして漢学、医術を学んでおり、ことに蘭方をよくし、明治の初年頃には多くの医学生を教えていた[1]。その頃はまだ定められた医師に数年間実地教育を受けていれば医師免許が取れた時代であったので、玄俊宅には通学生や、住み込みの書生がいつも数人居て医術を学んでいた[1]。明治末から大正にかけて米子一の開業医といわれた小川愛蔵も玄俊に学んだ一人である[1]。
当時の西洋医は水薬を多く用いた[1]。水薬専用のガラス瓶は値が高かったので、玄俊は貧乏な患者には「瓶を持ってこい」と言って各自の家の適当な瓶を持って来させ、どんどん自家製の水薬を注いで飲み方を教えていたという[1]。
人物像
参考文献
- 森納著『医人奇人 因伯の医師たち夜話』1991年 50-52頁(十五・自己隔離をして死ぬ)
関連項目
- 小川愛蔵
外部リンク
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