石泉僧叡
概要
安芸国山県郡戸河内村の真教寺円諦の子とし生まれる。三業惑乱時の論客・大瀛は従兄弟に当たる。 広島城下の報専坊で芸轍の祖・慧雲に師事。上洛し、大瀛とともに西本願寺学林に学び、天台宗も修める。
高田郡専教寺の住職となるが、学問と講演に没頭して寺務が疎かになり、寺を出る。江田島、能美島の諸寺に逗留し説教に回る。 川尻光明寺住職を経て、長浜(現・広島県呉市長浜)に私塾・石泉社を開いて弟子を指導し、石泉学派を開いた。弟子に、浄眼・僧鎧・円識・慧海・泰巌らがいる[1]。 行信論に新境地を開いた[2]。1825年(文政8年)、学階制ができると司教となる。
著書
- 『教行信証文類随聞記』
- 『柴門玄話』(さいもんげんわ)など
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