神田紅葉
神田 紅葉(かんだ もみじ、1950年12月19日 - 2017年7月25日)は、日本講談協会に所属した講談師[1]。本名は
| 本名 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1950年12月19日 |
| 没年月日 | 2017年7月25日(66歳没) |
| 出身地 | |
| 死没地 | |
| 師匠 | 神田紅 |
| 活動期間 | 2001年 - 2017年 |
| 配偶者 | あり |
| 所属 | 日本講談協会 |
経歴
1950年12月19日、長野県飯山市生まれ、松本市出身[1]。父は警察予備隊に勤務[2]。5人兄弟で兄、弟2人、妹1人がいる。父親の転勤についてゆき、小学校から中学校にかけては転校を繰り返す。長野県松本美須々ヶ丘高等学校卒業後は八十二銀行松本支店に就職[2]。1974年に警察官の叔父の部下と見合い結婚[1]、東京に行く。
専業主婦として奮闘する中、49歳から神田紅の講談教室に通い始め、2001年には50歳で弟子入りする[1]。2006年二ツ目昇進[1]。2016年秋の真打昇進を目前とした同年5月に末期の胆のうがんが見つかり、10月に予定されていたパーティーを中止[2]、同年9月に真打昇進披露を敢行[1]。戦後では史上最年長、65歳での真打昇進を果たす。 披露興行後も、体調を整えながら高座へ上がる[1]。
亡くなる3週間前、 7月4日の所沢講談会が最後の高座となり「鉢の木」を語った[1]。
脚注
注釈
出典
- “協会員プロフィール 神田 紅葉 | 日本講談協会”. n-kodan.com. 2020年9月12日閲覧。
- 森きわこ『週刊女性 人間ドキュメント 神田紅葉さん』主婦と生活者、2017年5月30日、50-55頁。
- 「講談師・神田紅葉さんが死去 戦後最年長で真打ちに昇進」『西日本新聞』、2017年7月26日。2023年10月7日閲覧。
- 「神田紅葉さん、死の2日前「やるべきことはやった」 抗がん剤治療受けながら命がけで高座全う」『zakzak by 夕刊フジ』、2017年7月28日。2023年10月7日閲覧。
- 「講談師・神田紅葉さん死去 50歳で入門、戦後最年長の65歳で真打ち昇進 がんと闘いながら高座へ」『産経新聞ニュース』、2017年7月26日。2023年10月7日閲覧。
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