福島繁太郎
経歴
株式仲買人で、日露戦争による相場急騰で財を成した福島浪蔵の子として東京に生まれる。[1][2]。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌1922年までイギリスに留学し、次いで1923年にフランスへ渡り、長くパリに滞在した[2][4]。福島は滞仏期間中に同時代の多くの画家と交流し、特にジョルジュ・ルオーと親しく交際した[5]。また、多数の絵画を収集して、いわゆる「福島コレクション」を形成し、その多くを日本にもたらした[2][6]。1928年、ないし1929年には、パリでジョルジュ・ワルドマー (George Waldemar) を中心とする美術評論誌『フォルム (Formes)』を創刊した[2][7][8]。
福島は、最終的に1933年暮れに帰国した[9]前後からコレクションの展覧会を企画するとともに[10][11]、帰国後は美術評論家として活動し[2]、また、銀座にフォルム画廊を開いた[12]。
1966年には、ブリヂストン美術館で「旧福島コレクション展」が催され、ルオー、マチス、ドラン、ピカソなどの作品49点が一堂に展示された[6]。
おもな著書
脚注
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus『福島繁太郎』 - コトバンク
- “福島繁太郎”. 東京文化財研究所 (2014年12月12日). 2014年12月25日閲覧。:出典=『日本美術年鑑 昭和36年版』、136頁。
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus『福島慶子』 - コトバンク
- 金澤 2012 57頁は、福島の滞仏を1924年から1925年にかけてと、1926年から1931年の2期としている。これは滞在時期の起点と終点に関して、他の資料の記述と一致しないが、一時帰国その他の事情をどう解釈するかの違いによるものかもしれない。
- 金澤・2012年57頁
- “東洋の幻想 旧福島コレクション 国画会40年の展望 興味呼ぶ三つの展覧会”. 朝日新聞・東京夕刊: p. 9. (1966年4月28日). "故福島繁太郎氏の収集したフランスを中心とする海外の作品は、日本にもってきたものだけで八十五点、そのほかフランスで集め、帰国の際に手放したものが三十五点といわれるが、日本に来た作品も、ほとんど散逸してしまった。こんどの出展作品は、...四十九点となっているが、..." - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- 金澤・2012年56頁
- 創刊時期について、資料の多くは1928年としているが、金澤は1929年としている。
- “巨匠・佳話を描く 六年経過・而も約束忘れず 遥々日本へ贈り物”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 118. (1936年4月2日). "...昭和八年暮福島氏夫妻が歸朝した時も..." - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- 金澤・2012年58頁
- “ピカソの海辺母子像”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 8. (1933年12月26日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- “福島繁太郎氏(訃報)”. 朝日新聞・東京夕刊: p. 7. (1960年11月10日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
参考文献
- 金澤清恵、2012、「日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、あるいはその受容について」『成城美学美術史』2012年3月、17/18号49~69頁。NAID 110009611071
関連文献
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