秦星池
逸話と評価
文政5年の元日に、大窪詩仏の玉池精舎に藤堂龍山・五十嵐竹沙ほか数名が集まり、例年行っている寄せ書きのうち題字として泰星池が残した「唐々春」という言葉の意味がわからない。星池はすでに帰っていて誰も明らかにできないでいるうちに、文人仲間では長老株なのに人望がない星池についての悪口が出た。その場にいた弟子からそれを聞いた星池が激怒して、手紙で詰問したので龍山は自分たちの不明を認め詫びた。ところが星池はおさまらず、中井敬義の発会では龍山に対して「湿塵軽舞唐々春」という詩句をわざと書いて示して嫌がらせをしようとした。その詩句の出所を調べておいた龍山は詩の結句を書いて星池に示したが、星池はその意味がわからなかったので「唐々春」の意味を知らずに題字に使ったことが暴露され、かえって恥をかいた[2]。
脚注
- 長澤規矩也・監修『漢文学者総覧』汲古書院、1979年、239頁。
- 森銑三『傳記文學 初雁』講談社学術文庫、1989年、234-240頁。
- 森銑三『森銑三著作集 第六巻』中央公論社、1971年、398頁。
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