穂富山城守
略歴
豊臣秀次から軍師と仰がれた人物。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは敵を察知し、陣を整えるよう秀次に提言した(白山林の戦い) [1]。しかし徳川軍の急襲を受け岡本彦三郎らとともに討死した[2][3]。
参考文献
- 『改正三河後風土記上巻』(金松堂、1884年、864p)
- 『秀次公』(井村米太郎、1921年、2p)
- 『通俗日本全史第10巻』(早稲田大学編輯部 、1913年、257p)
脚注
- 金松堂 1886, p. 864.
- 井村米太郎 1921, p. 2.
- 早稲田大学編輯部 1913, p. 257.
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