章敬皇后
生涯
初め父の呉令珪は郫県の県令だったが、法を犯して誅滅された。彼女も奴婢の身分に落とされて後宮に入った。
開元13年(725年)、玄宗は後宮の宮人を選んで、皇子の李亨を世話するものを選ばせた。12歳の呉氏は李亨の側室になり、翌年に李俶(後の代宗)を出産んだ。
開元17年(729年)、和政公主を出産んだが、翌年(730年)に17歳で没した。
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