童謡 (日本)
概要
益田勝実は、「童謡」という表記は中国の正史における同様の趣旨の用例である詩妖をワザウタと訓み、さらに詩妖の下位概念である童謡の訓みに当てたものと述べている[1]。
日本における童謡も正史である六国史において『日本書紀』から『日本三代実録」に至るまで採録されている[注 1]他、『日本霊異記』『古事談』など私撰の書物にも採録されており、日本においても古くから普通の恋愛などの歌謡が、世間に広まっていくうちに社会的な意味を持つ別の解釈が付与されながら、神の託宣など何らかの暗示の力(わざ)を含む歌“わざうた”として受け止められていったと考えられ、それが類似した性格を持つ中国の「童謡」という漢字と結びつけられたとみられている。
土橋寛は、童謡とは事件とは本来何の関係もない民謡(ウタ)を、事件が発生したのちに歌詞の一部の語句を手がかりにして事件に付会し、その前兆であったのだと解釈したものだ、と述べている[1]。
童謡の例
日本書紀の皇極天皇2年(643年)10月の記述に、蘇我入鹿が上宮に住まう山背大兄王を含む皇子達を廃し、古人大兄皇子を天皇に立てる謀略が発生したが、そのときに次のような童謡があったという[注 2]。
イハノヘニ コサルコメヤク (岩の上に 小猿米焼く。) コメダニモ タゲテトホラセ カマシシノオヂ (米だにも 食げて通らせ。羚羊の翁。)
翌11月の記述では、当時の人びとが先の童謡を、イハノヘニとは上宮の喩え、コサルは林臣(蘇我入鹿)の喩えであり、コメヤクは上宮を焼く喩えである。コメダニモ タゲテトホラセ カマシシノオヂは、山羊に風貌が似ていた山背大兄王が宮を捨てて山奥に逃走したことの喩えである、と解釈したいう[1]。
脚注
注釈
- 具体的には『日本書紀』に11首(皇極天皇紀4首・斉明天皇紀1首・天智天皇紀6首)、『続日本紀』に1首(光仁天皇紀)、『日本後紀』に1首(桓武天皇紀)、『続日本後紀』1首(仁明天皇紀)、『日本三代実録』1首(光孝天皇紀)所収されている(ただし、研究者の解釈によって異同がある)。
- 原文は万葉仮名。
出典
- 末次 2007, pp. 9–19.
参考文献
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.