紀豊城
経歴
勝手気ままに振る舞う性格であったことから、しばしば異母兄・夏井から厳しく責めたてられた。これを苦にして豊城は大納言・伴善男の許へ身を寄せてその従僕となる。貞観8年(866年)に発生した応天門の変では、豊城は伴善男・中庸親子らと共に首謀者とされる。本来は斬刑に当たるところ減刑され、安房国への流罪となった[1]。
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