維新立藩
維新立藩
(いしんりっぱん)は、
慶応
3年(
1867年
)の
大政奉還
以降に立藩された
藩
の総称。
維新後立藩
とも呼ばれる。
概略
大政奉還以降も、
版籍奉還
を経て
明治
4年(
1871年
)の
廃藩置県
まで藩による統治は行われていた。
将軍
として藩を持たなかった
徳川宗家
による
駿府藩
の立藩、
琉球王国
を
琉球藩
とした他に、以下が存在する。
御三卿
田安藩(
田安徳川家
)
一橋藩(
一橋徳川家
)
清水徳川家
は立藩していない
[1]
。
御三家
付家老
田辺藩
3万8千石 安藤家(
紀州藩
)
新宮藩
3万5千石 水野家(紀州藩)
犬山藩
3万5千石 成瀬家(
尾張藩
)
今尾藩
3万石 竹越家(尾張藩)
松岡藩
2万5千石 中山家(
水戸藩
)
支藩
岩国藩
6万石 吉川家
福本藩
1万573石 池田家
表向御礼衆
交代寄合
から維新加増や石直しにより、1万石以上の大名となる資格を得て藩となったもの
矢島藩
1万5千2百石 生駒家
成羽藩
1万2746石 山崎家
村岡藩
1万1千石 山名家
志筑藩
1万110石 本堂家
田原本藩
1万石 平野家
備考
堀江藩
(大沢家)は、石直により1万石を有するとして立藩したが、実高5485石に開墾予定地として新田内高4521石を含めており、明治政府の再調査により虚偽申告が判明、当主
大沢基寿
は
華族
から
士族
に身分を落とされたほか、禁錮1年の刑を受けた。
脚注
当主の
徳川昭武
(旧幕府の使節団として訪欧後に留学中)が
水戸藩
主を継ぐことが決まっており、事実上当主が不在であったため。
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