綾部城 (肥前国)
綾部城(あやべじょう)は、佐賀県三養基郡みやき町原古賀にあった日本の城(山城)。足利一門の渋川氏が、九州探題府兼肥前守護所の拠点としていた。
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|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 築城年 | 12世紀以前 |
| 主な城主 |
綾部氏 渋川氏 筑紫氏 龍造寺氏 |
| 廃城年 | 不明 |
| 位置 | 北緯33度21分40.3秒 東経130度26分24.7秒 |
| 地図 |
![]() 綾部城 |
平安・鎌倉時代
藤原通良が平治の乱に呼応して綾部城で挙兵していることから、この頃までには存在していた。文治3年(1187年)に通良の子・藤原通俊に綾部荘が与えられ、通俊は綾部氏に改姓して以後は当城を代々の居城とした。
室町・戦国時代
室町時代から戦国時代にかけては肥前守護所である綾部館の詰城として足利一門の一色氏、今川氏が居城していた。応永9年(1402年)ごろに、足利一門の渋川満頼が拠点として以降、九州探題と肥前守護を兼任した渋川氏の代々の居城となった。
『海東諸国記』によれば、
九州節度史(九州探題)は、肥前州綾部に居す。……民居一千余戸、正兵二百五十余なり。九州の兵を総治す。
とあるが、当時の渋川氏は東肥前の一勢力に衰退していた。渋川氏は中国地方の大内氏の後援を受けて、敵対する少弐氏、菊池氏と戦い、しばしば筑前に逃れている。
この頃の綾部氏は渋川氏に従っていたが、天文3年(1534年)に渋川氏は滅んでいる。
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