練馬区立大泉小学校

練馬区立大泉小学校(ねりまくりつ おおいずみしょうがっこう)とは、東京都練馬区東大泉4丁目にある小学校

練馬区立大泉小学校
北緯35度45分08秒 東経139度35分02秒
国公私立の別 公立学校
設置者 練馬区
併合学校 豊西小学校
榑橋小学校
設立年月日 1892年6月1日
開校記念日 6月1日
共学・別学 男女共学
学校コード B113212000378
所在地 178-0063
東京都練馬区東大泉4丁目25番地1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校

概要

全校児童数は545名(令和2年度)である。普通学級の他に、固定学級である知的障害学級として「5組」、通級学級である情緒障害学級として「いずみ学級」と言語障害学級として「ことばの教室」が設置されている。校庭は「下校庭」「中校庭」「上校庭」の3つを持ち、上校庭はコンクリートアスファルトからなりテニスコートとして利用が可能(テニスクラブが使用)。主に、休み時間に使用されるが1年生しか使うことができない。いちばん広い下校庭は7806m2の広さを持ち、休み時間は2~6年生が使用可能である。1年生は、7月以降に使用可能になる。なお、中校庭は、植物を育てる為にあるといっても過言でなく、ここで遊ぶ児童はあまりいない。近年、ビオトープができた。

この学校の特徴として、集会の多さがあげられる。月曜の朝会に加え、毎週木曜日にも何かしらの集会が開かれる。木曜日の集会は集会委員会が中心となっているものが多く、「ブロック集会」をはじめ「音楽集会」、かつては「ロング集会」などが行われていた(2019年度は実施)。ブロック集会では、異なる学年間の交流を深めるべく、「ちびまる子ちゃんブロック」「ドラゴンボールブロック」「サザエさんブロック」「ドラえもんブロック」「スヌーピーブロック」等のブロックに1~6年生が均等に配分される。児童は新年度毎に新しいブロックに配属される。各ブロックでは、学年があまりかぶらないように班が組まれる(7~8人程度)。各ブロックでは、ブロック長が6年生から選ばれ、ブロック集会で何をするか、考える。尚、音楽集会等では、このブロックの班毎に集合し活動を行うことが多い。なお、現在は新型コロナウイルスの影響でブロック集会とロング集会は行われていない。

沿革

前史

1874年(明治7年)5月31日、当時の東京府北豊島郡石神井村上土支田の妙延寺(加藤儀平宅、現:東大泉3丁目)に「豊島小学校二番分校」(豊島小学校は現在の石神井小学校)として設立されたのが本校のルーツとされる[1]。豊島小学校二番分校は1876年(明治9年)7月には豊西小学校と改称した[1]

豊西小学校に近接して、榑橋村(当時は埼玉県新座郡所属)の本照寺(現:西大泉3丁目)には榑橋小学校があった。当時の村にとって小学校運営の財政負担は重く、2つの小学校の統合とともに近隣の村の再編成が促されることとなった[2]。この際、新村名をめぐって紛糾したが、当時の豊西小学校の校長・関根雅楽蔵が「小泉(おいずみ)村」の名を提案し、これが「大泉村」に転じたとされる。1891年(明治24年)6月、東京府北豊島郡大泉村が発足した。

創立から国民学校まで

1892年(明治25年)6月1日、豊西小学校と榑橋小学校は合併し、大泉村の中央にあたる現在地に「泉小学校」として開設された(初代校長:関根雅楽蔵)。大泉小学校はこの日を開校記念日としている[1]

1888年(明治31年)には高等科を併置し、泉尋常高等小学校になる。1915年(大正4年)、大泉尋常高等小学校に改称した。1932年(昭和7年)に大泉村は東京市板橋区に編入された。1941年には東京市大泉国民学校となった。

尋常高等小学校時代の本校には3つの分教場が設けられているが、橋戸分教場(1897年開設)が現在の大泉第一小学校(1946年独立)に、第二分教場(1912年開設)が大泉第二小学校(1943年独立)、第三分教場(1919年開設)が大泉第三小学校(1944年独立)に、それぞれ発展している[1]。また、大正期から昭和戦前期にかけて、実業補習学校(1915年)、専修女学校(1930年)、大泉農商公民学校(1930年)が、それぞれ併置されている[1]

第二次世界大戦後

1947年4月、学校教育法施行(学制改革、六・三制導入)により新制小学校「板橋区立大泉小学校」となる。同年8月1日、板橋区から練馬区が独立したため、現在の名称「練馬区立大泉小学校」となった[1]

1956年4月には東分校が独立し大泉東小学校が、1959年1月には南分校が独立し大泉南小学校がそれぞれ誕生している[1]

2012年(平成24年)11月24日に120周年記念式典を行った[3]

年表

  • 1892年(明治25年)6月1日 - 豊西小学校と榑橋小学校の併合により泉小学校として創立(開校記念日)[1]
  • 1897年(明治30年)11月 - 橋戸分教場を開設する
  • 1898年(明治31年)4月 - 高等科の併置に伴い、校名が泉尋常高等小学校になる
  • 1912年(大正元年)10月9日 - 第二分教場を開設する
  • 1915年(大正4年)11月30日 - 校名が大泉尋常高等小学校になる
  • 1919年(大正8年)4月 - 第三分教場を開設する
  • 1941年(昭和16年)2月 - 校名が東京市大泉国民学校になる
  • 1946年(昭和21年)12月 - 橋戸分教場が東京都大泉第一小学校として独立開校する
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月 - 学制改革に伴い、校名が板橋区立大泉小学校になる
    • 8月1日 - 練馬区の誕生に伴い、校名が練馬区立大泉小学校になる

主な学校行事

児童会活動・クラブ活動など

2022年現在[4]

委員会

月1回、第一木曜日の6時限目に行う。5・6年生が委員になるが代表委員は3年生の一部からである。 ・計画・代表委員会 ・放送委員会 ・運動委員会 ・図書委員会 ・保健・美化委員会 ・環境委員会 ・集会委員会 ・給食委員会

クラブ

木曜日の6限に行われる。4年生以上が必修。

  • 球技クラブ
  • バドミントン・テニスクラブ
  • 卓球クラブ
  • 料理クラブ
  • 科学工芸クラブ
  • パソコンクラブ
  • マンガ・工作クラブ
  • 昔遊びクラブ
  • ダンスクラブ
  • 手芸クラブ 

・音楽クラブ

通学区域

  • 東大泉1丁目(28~33番、35~37番)・3丁目(17~23番、28~35番、37~66番)・4丁目、西大泉1丁目(1~7番)・3丁目(1~15番)、南大泉5丁目(1番<9~22号>)、大泉学園町1丁目(1~2番)・2丁目(1~13番、15~17番)[5]

進学先中学校

脚注

  1. 学校沿革”. 練馬区立大泉小学校. 2013年10月10日閲覧。
  2. 練馬の地名今むかし 東大泉
  3. 輝け!こどもたち 2012年11月”. 練馬区立大泉小学校. 2013年10月10日閲覧。
  4. 委員会・クラブ活動”. 練馬区立大泉小学校. 2022年11月6日閲覧。
  5. 区立学校通学区域(小学校)”. 練馬区 (2022年7月20日). 2022年11月6日閲覧。
  6. 区立学校通学区域(中学校)”. 練馬区 (2022年7月20日). 2022年11月6日閲覧。

関連項目

外部リンク

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