義堯
生涯
永正8年(1511年)4月、醍醐寺三宝院に住持として入寺し、室町幕府の10代将軍・足利義尹(のち義稙)の猶子となり[1]、「義」の一字を与えられた。醍醐寺三宝院の住持は将軍の猶子になることが慣例であったが、父の政基や兄の尚経がかつて唐橋在数の殺害で後土御門天皇の勅勘を蒙っていたため、義尹はこの猶子の件を後柏原天皇に伺った上で決めている[1]。
脚注
- 山田、155頁
- 橋本初子『中世東寺と弘法大師信仰』、26頁
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