聖徳記念絵画館

聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)は、東京都新宿区明治神宮外苑にある美術館

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聖徳記念絵画館
Meiji Memorial Picture Gallery
聖徳記念絵画館の位置(東京都区部内)
聖徳記念絵画館
東京都区部内の位置
施設情報
専門分野 明治天皇の業績を描いた絵画
事業主体 明治神宮
開館 1926年大正15年)10月22日
所在地 東京都新宿区霞ヶ丘町1-1
明治神宮外苑
位置 北緯35度40分43.6秒 東経139度43分3.5秒
プロジェクト:GLAM
正面から見た絵画館
ライトアップされた夜の絵画館

神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。

歴史

明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、大喪の礼が行われた旧青山練兵場の葬場殿跡地で1926年大正15年)に建設された。そもそも明治神宮外苑の造営の主たる目的でもある建物である。現在でも、建築当初のままのドーム状の荘厳な建物を見ることができる。

建物の完成と比べ、絵画館に納める絵画の製作は遅れに遅れた。1936年(昭和11年)4月21日、壁画80枚が収められて、閑院宮総裁出席の下で完成記念式典が挙行されたが、式典の当日まで加筆を行う画家もいた[1]

1968年昭和43年)には、明治維新100年目を記念して絵画館学園が同建物内に開校され、絵画や陶芸などを学ぶ施設も備わった。また、1990年平成2年)からは同建物の夜間のライトアップが実施されるようになった。2011年(平成23年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定された。

建物の概要

神宮外苑造成案(1917年案)。
現行の1918年案。絵画館は葬場殿跡に配置されている。

設計は公募による建築設計競技(1918年実施)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっている。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ[3]、後任の小林政一が完成させた。

外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成とし、当時流行のセセッション風の重厚な意匠でまとめている。内部中央の大広間の装飾は、床に大理石モザイクタイル、壁面に色変わりの大理石石膏彫刻、天井に石膏彫刻を用いている。同時期に建設された明治神宮宝物殿が鉄筋コンクリート造ながら外観は伝統的木造建築のそれを忠実に再現しているのとは対照的に、この絵画館には当時最新式の西洋の技術と意匠が用いられている。これら両建築の様式の違いは、日本の近代化の象徴であるとともに伝統文化の継承者でもあるという明治天皇の二面性を象徴するものだといわれている[4]

建物は2011年(平成23年)に重要文化財に指定。絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

  • 葬場殿趾円壇 - 絵画館の裏手にある
  • 角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。
  • 丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のイチョウ並木の終点付近にある 

イチョウ並木

神宮外苑銀杏並木 (10月)

明治神宮外苑の入り口でもある青山通りからこの建物を見ると、イチョウ(銀杏)の並木が絵画館が中心になるように沿って植えられている。絵画館に近づくにつれより低いイチョウが植えられており、遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように見えるよう表現されているのも特徴的で、建物自体の荘厳さを高めている[5]

これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので[6]、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本[7]新宿御苑の同じイチョウから種を採取した、いわば「兄弟姉妹」である[8]。設計者は、関東大震災後の復興事業で隅田公園錦糸公園山下公園などの建設も指揮した造園家折下吉延[7]。造営の責任者は、当時道路工学の権威であった藤井真透が務めた。

1994年(平成6年)には、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」の一つに選定されており[9]、多くの映画やテレビドラマのロケ地ともなっているほか、紅葉の季節には多くの観光客が訪れる。変わった所では、『笑点』の大喜利の座布団10枚獲得景品として、並木の下に落ちていた銀杏が贈呈されたことがある。

交通アクセスは、電車は、JR信濃町駅より徒歩10分、地下鉄外苑駅・青山一丁目駅より徒歩5分、車は、首都高速外苑出口から5分。駐車場は396台、1日1回1600円。

ギャラリー

展示絵画

当代一流の画家らが、史実に基づく明治天皇と皇后(昭憲皇太后)の遺徳を描いた絵画を年代順に展示。縦約2.7m×横約2.1~2.5m[10]の日本画 (40点)・洋画 (40点)、併せて80点が常設展示されている。日本史の教科書にも載っているおなじみの絵画が何点もある。整理番号が振ってあり、1番から40番が日本画、41番から80番までが洋画である。

絵画は、次の表に示すように、当時の華族のほか、国の機関、地方公共団体、民間企業などから奉納された作品である。奉納者は画題と縁故のあるものが多く、例を挙げれば、5番《大政奉還》の奉納者は大政奉還をした江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の孫であり、横浜市が奉納した21番《岩倉大使欧米派遣》には、横浜港で乗船する岩倉使節団が描かれている。

支持体には日本画も含めて特製キャンバスが推奨されたが、実際にはキャンバス和紙の選択制だった。そのため、高橋秋華《御降誕》、山本森之助《中国西国巡幸長崎御入港》、小山栄達《習志野之原演習行幸》、近藤樵仙《皇后宮田植御覧》、近藤樵仙《西南役熊本籠城》の5点は、日本画でありながらキャンバスに描かれている。一方、寺崎武男《軍人勅諭下賜》、和田三造《大葬》の2点は、洋画にも関わらず和紙を用いている。壁画に使われているそれまでにない巨大な和紙は、この障壁画のために特別に作られ「神宮紙」と呼ばれる。これは、同時期の早稲田大学図書館壁画《明暗》のために作られた更に巨大な「岡大紙」と共に、戦後の日本画で主流となる雲肌麻紙の直接の源流となった[11]

明治天皇を題材にした絵画の制作は、近代化以降進められていた国史編纂事業と密接に絡んでおり、画題の選定にあたった絵画館委員会のスタッフは、金子堅太郎議長以下、国史編纂事業にかかわっていたメンバーが多く起用された。そのため、画題の選定にあたっては、

  • 天皇・皇后の個人にまつわる出来事より、明治期の国事にまつわる出来事を重視する。
  • 天皇と特定の元勲・功臣との関係性よりも、より広範な国民との関係性を重視する。
  • 画題の種類(宮中、内政、外交など)、地域に偏りが生じないようにする。

という方針がたてられた。大正7年1月、暫定的な「第一成案」(85題)が成立する[12]

第一成案成立後、各画題の考証調査が行われた。参考史料の研究が「維新史料編纂会」の協力の下行われたほか、画題に選ばれた現地の調査も数次にわたって綿密に行われ、通常は立ち入り不可であるところの皇居、御用邸内での取材も許可された。これらの取材をもとに、二世五姓田芳柳が画題考証図(「第二成案」、80題)を制作、大正10年8月に完成した[13]

その後、各画題の担当画家および奉納者の選定が行われたが、国民美術協会など画家の側から、洋画・日本画の別や、五姓田が考証図で構成等を事実上先に決めていることへの反感、奉納者の画家との人脈が優先されることへの反発などの意見が出され、選定が難航する。これを受け、揮毫者選定を行うための「壁画調成委員会」が設けられ、川合玉堂横山大観ら画家がメンバーに加わり、担当画家の選定が行われた。担当画家が決まった後も、下絵の段階で構図を巡って担当画家、奉賛会、調成委員会、奉納者らの間で意見の相違が発生し、最終的に五姓田の考証図とことなる構成になる作品もあった。[14]

これらの経緯により絵画制作は長引き、大正15年(1926年)に外苑奉献、絵画館が落成した時点で、中身の絵画は80点中5点しか完成していなかった。最終的に80点がそろったのは、昭和11年(1936年)のことである。

また、五姓田による画題考証図は、その後修正を加え、更に「伏見桃山陵」が加えられて81点が『明治天皇紀附図』として『明治天皇紀』に加えられた。

日本画
番号画題(日本画)画家奉納者壁画の舞台完成年
1御降誕高橋秋華侯爵 中山輔親嘉永5年9月22日(1852年11月3日)京都・中山邸昭和5年(1930年)
2御深曾木北野恒富男爵 鴻池善右衛門万延元年閏3月16日(1860年5月6日)京都・京都御所昭和9年(1934年)
3立親王宣下橋本永邦三菱合資会社万延元年9月28日(1860年11月10日)京都・京都御所昭和6年(1931年)
4践祚川崎小虎侯爵 池田宣政慶応3年1月9日(1867年2月13日)京都・京都御所昭和5年(1930年)
5大政奉還邨田丹陵公爵 徳川慶光慶応3年10月13日(1867年11月8日)京都・二条城昭和10年(1935年)
6 王政復古島田墨仙侯爵 松平康荘慶応3年12月9日(1868年1月3日)京都・京都御所昭和6年(1931年)
7伏見鳥羽戦松林桂月公爵 毛利元昭明治元年(慶応4年)1月5日(1868年1月29日)京都・淀小橋際千両松昭和8年(1933年)
8御元服伊東紅雲公爵 近衛文麿明治元年(慶応4年)1月15日(1868年2月8日)京都・京都御所昭和3年(1928年)
9二条城太政宮代行幸小堀鞆音男爵 三井八郎右衛門明治元年(慶応4年)2月3日(1868年2月25日)京都・二条城昭和8年(1933年)
10大総督熾仁親王京都進発高取稚成侯爵 蜂須賀正韶明治元年(慶応4年)2月15日(1868年3月8日)京都・京都御所昭和6年(1931年)
11各国公使召見広島晃甫侯爵 伊達宗彰明治元年(慶応4年)2月30日(1868年3月23日)京都・京都御所昭和5年(1930年)
12 五箇條御誓文乾南陽侯爵 山内豊景明治元年(慶応4年)3月14日(1868年4月6日)京都・京都御所昭和3年(1928年)
13江戸開城談判結城素明侯爵 西郷吉之助・伯爵 勝精明治元年(慶応4年)3月14日(1868年4月6日)江戸・薩摩藩蔵屋敷昭和10年(1935年)
14大阪行幸諸藩軍艦御覧岡田三郎助侯爵 鍋島直映明治元年(慶応4年)3月26日(1868年4月16日)大阪・大阪湾昭和11年(1936年)
15即位礼猪飼嘯谷京都市明治元年(慶応4年)8月27日(1868年10月12日)京都・京都御所昭和9年(1934年)
16農民収穫御覧森村宜稲侯爵 徳川義親明治元年9月27日(1868年11月11日)尾張・熱田八丁畷昭和5年(1930年)
17東京御着輦小堀鞆音東京市明治元年10月13日(1868年11月26日)東京・東京城昭和9年(1934年)
18皇后冊立菅楯彦大阪市明治元年12月28日(1869年2月9日)京都・京都御所昭和10年(1935年)
19神宮親謁松岡映丘侯爵 池田仲博明治2年3月12日(1868年4月23日)伊勢・皇大神宮昭和11年(1936年)
20廃藩置県小堀鞆音伯爵 酒井忠正明治4年7月14日(1871年8月29日)東京・皇居昭和6年(1931年)
21岩倉大使欧米派遣山口蓬春横浜市明治4年11月12日(1871年12月23日)神奈川・横浜港昭和9年(1934年)
22大嘗祭前田青邨伯爵 亀井茲常明治4年11月17日(1871年12月28日)東京・皇居昭和8年(1933年)
23中国西国巡幸長崎御入港山本森之助長崎市明治5年6月14日(1872年7月19日)長崎・長崎港昭和3年(1928年)
24中国西国巡幸鹿児島着御山内多門鹿児島市明治5年6月22日(1872年7月27日)鹿児島・島津氏旧邸昭和5年(1930年)
25京浜鉄道開業式行幸小村大雲鉄道省明治5年9月12日(1872年10月14日)東京・新橋駅昭和3年(1928年)
26琉球藩設置山田真山首里市明治6年(1873年)沖縄・那覇港昭和10年(1935年)
27習志野之原演習行幸小山栄達侯爵 西郷従徳明治6年(1873年)千葉・習志野原昭和4年(1929年)
28富岡製糸場行啓荒井寛方大日本蚕糸会明治6年(1873年)群馬・富岡昭和8年(1933年)
29御練兵町田曲江十五銀行明治7年(1874年)東京・赤坂仮皇居昭和3年(1928年)
30侍講進講堂本印象台湾銀行明治7年(1874年)東京・赤坂仮皇居昭和9年(1934年)
31徳川邸行幸木村武山侯爵 徳川圀順明治8年(1875年)東京・徳川昭武昭和5年(1930年)
32皇后宮田植御覧近藤樵仙公爵 一条実孝明治8年(1875年)東京・赤坂仮皇居昭和2年(1927年)
33地方官会議臨御磯田長秋侯爵 木戸幸一明治8年(1875年)東京・東本願寺書院昭和3年(1928年)
34女子師範学校行啓矢沢弦月桜蔭会明治8年(1875年)東京・お茶の水昭和9年(1934年)
35奥羽巡幸馬匹御覧根上富治日本勧業銀行明治9年(1876年)岩手・盛岡八幡宮昭和9年(1934年)
36畝傍陵親謁吉田秋光男爵 住友吉左衛門明治10年(1877年)奈良・畝傍山東北陵昭和7年(1932年)
37西南役熊本籠城近藤樵仙侯爵 細川護立明治10年(1877年)熊本・花岡山大正15年(1926年)
38内国勧業博覧会行幸啓結城素明侯爵 大久保利和明治10年(1877年)東京・上野恩賜公園昭和11年(1936年)
39能楽御覧木島桜谷男爵 藤田平太郎明治11年(1878年)東京・青山御所昭和9年(1934年)
40初雁の御歌鏑木清方明治神宮奉賛会明治11年(1878年)東京・赤坂仮皇居昭和7年(1932年)
洋画
番号画題(洋画)画家奉納者壁画の舞台完成年
41グラント将軍と御対話大久保作次郎子爵 渋沢栄一明治12年(1879年)東京・浜離宮昭和5年(1930年)
42北海道巡幸屯田兵御覧高村真夫北海道庁明治14年(1881年)北海道・山鼻村昭和3年(1928年)
43山形秋田巡幸鉱山御覧五味清吉男爵 古河虎之助明治14年(1881年)秋田・院内鉱山大正15年(1926年)
44兌換制度御治定松岡寿日本銀行明治14年(1881年)東京・赤坂仮皇居昭和3年(1928年)
45軍人勅諭下賜寺崎武男公爵 山縣伊三郎明治15年(1882年)東京・赤坂仮皇居大正15年(1926年)
46条約改正会議上野広一侯爵 井上勝之助明治15年(1882年)東京・外務省昭和6年(1931年)
47岩倉邸行幸北蓮蔵商業会議所連合会明治16年(1883年)東京・岩倉邸昭和2年(1927年)
48華族女学校行啓跡見泰常磐会明治18年(1885年)東京・四谷尾張町昭和2年(1927年)
49東京慈恵医院行啓満谷国四郎東京慈恵会明治20年(1887年)東京・東京慈恵医院昭和2年(1927年)
50枢密院憲法会議五姓田芳柳 (2代目)公爵 伊藤博邦明治21年(1888年)東京・赤坂仮皇居大正15年(1926年)
51憲法発布式和田英作公爵 島津忠重明治22年(1889年)東京・皇居正殿昭和11年(1936年)
52憲法発布観兵式行幸啓片多徳郎日本興業銀行明治22年(1889年)東京・桜田門昭和3年(1928年)
53歌御会始山下新太郎宮内省明治23年(1890年)東京・皇居昭和2年(1927年)
54陸海軍大演習御統監長原孝太郎名古屋市明治23年(1890年)愛知・雁宿山昭和6年(1931年)
55教育勅語下賜安宅安五郎茗渓会明治23年(1890年)東京・皇居昭和2年(1927年)
56帝国議会開院式臨御小杉未醒貴族院衆議院明治23年(1890年)東京・貴族院昭和3年(1928年)
57大婚二十五年祝典長谷川昇華族会館明治27年(1894年)東京・皇居昭和2年(1927年)
58日清役平壌戦金山平三神戸市明治27年(1894年)平壌昭和8年(1933年)
59日清役黄海海戦太田喜二郎大阪商船株式会社明治27年(1894年)黄海昭和2年(1927年)
60広島大本営軍務親裁南薫造侯爵 浅野長勲明治27-28年(1894-95年)広島・第5師団司令部昭和3年(1928年)
61広島予備病院行啓石井柏亭日本医学会日本医師会明治28年(1895年)広島・陸軍予備病院昭和4年(1929年)
62下関講和談判永地秀太下関市明治28年(1895年)下関・春帆楼昭和4年(1929年)
63台湾鎮定石川寅治台湾総督府明治28年(1895年)台北城昭和3年(1928年)
64靖国神社行幸清水良雄第一銀行明治28年(1895年)東京・靖国神社昭和4年(1929年)
65振天府川村清雄公爵 徳川家達明治30年(1897年)東京・皇居昭和6年(1931年)
66日英同盟山本鼎朝鮮銀行明治35年(1902年)東京・貴族院昭和7年(1932年)
67赤十字社総会行啓湯浅一郎日本赤十字社明治35年(1902年)東京・上野恩賜公園昭和4年(1929年)
68対露宣戦布告御前会議吉田苞公爵 松方巌明治37年(1904年)東京・皇居昭和9年(1934年)
69日露役旅順開城荒井陸男関東庁明治38年(1905年)旅順口水師営昭和3年(1928年)
70日露役奉天戦鹿子木孟郎南満州鉄道株式会社明治38年(1905年)奉天城大正15年(1926年)
71日露役日本海海戦中村不折日本郵船株式会社明治38年(1905年)日本海昭和3年(1928年)
72ポーツマス講和談判白滝幾之助横浜正金銀行明治38年(1905年)アメリカ・ポーツマス海軍工廠昭和6年(1931年)
73凱旋観艦式東城鉦太郎海軍省明治38年(1905年)神奈川・横浜沖昭和4年(1929年)
74凱旋観兵式小林万吾陸軍省明治39年(1906年)東京・青山練兵場昭和6年(1931年)
75樺太国境画定安田稔日本石油株式会社明治39-40年(1906-07年)樺太日露国境昭和7年(1932年)
76観菊会中沢弘光侯爵 徳川頼貞明治42年(1909年)東京・赤坂御苑昭和6年(1931年)
77日韓合邦辻永朝鮮明治43年(1910年)京城南大門昭和2年(1927年)
78東京帝国大学行幸藤島武二侯爵 前田利為明治45年(1912年)東京・東京帝国大学昭和11年(1936年)
79不豫田辺至東京府明治45年(1912年)東京・二重橋昭和2年(1927年)
80大葬和田三造明治神宮奉賛会大正元年(1912年)京都・伏見桃山昭和8年(1933年)
ギャラリー

開館時間、入館料、アクセス

  • 開館時間: 9:00 - 17:00(最終入館16:30) 年末年始12月30日 - 1月2日)は10:00 - 17:00(最終入館16:30) 年中無休
  • 入館料(施設維持協力金): 大人500円、小・中学生200円、その他団体割引・障害者割引(手帳提示、公式ホームページに記載なし)あり(2014年 (平成26年)時点)。
    • 2012年頃までは、高校生・大学生300円であったが、高校生・大学生向けの学割は廃止されている(大人料金の支払いが必要)。
アクセス

景観破壊問題

2011年

東京都による眺望保全対象建築物にも指定されている聖徳記念絵画館であるが、その後方にあたる近辺に建設が計画された大型超高層ビルにより、イチョウ並木から絵画館を望む現在の美観が損なわれることが問題になった[15]

問題となったのは住友不動産が新宿区内大久保3丁目で計画を進めていた地上45階建て、高さ160mタワーマンションなど三棟の大型建築物。これら超高層ビル三棟は2013年(平成25年)の完成が予定され、これらが完成すると、ビルはイチョウ並木から望む絵画館の円形ドームの上部と左後方に大きくはみ出す形で出現することになる[16]

東京都では歴史的建築物の眺望を保護するため2007年(平成19年)に施行した景観計画で、絵画館を含む東京都心4カ所について、後方2kmまでの景観誘導区域では対象建築物より高く見える建物を建てないよう制限しているものの[17]、今回の計画地までは2km以上の距離があるため、これによる規制対象にはならなかった[16]

2024年

その他

絵画館前の広場は、第二次世界大戦の敗戦以前は庭園となっていたが、敗戦後連合国軍に外苑が接収された後にソフトボール場やテニスコート等が設けられた[18]1952年の接収解除後も、ソフトボール場などはそのまま残り、一般への貸出も行われるようになり[18]現在に至っている(現在の明治神宮外苑軟式グラウンド、室内球技場など)。

絵画館前の通り(特別区道43-650)には、「ワービット舗装(ワーレナイト・ビチュリシック工法による舗装の略称)」を用いた、大正15年(1926 年)完成の我が国最古級の車道用アスファルト舗装が現存する。平成16年度選奨土木遺産に認定されており、保存のためインターロッキングブロック舗装(ILB舗装)を被せる工事が施されているが、一部は直接見ることができるようになっている[19][20]

絵画館前の道路を利用し、警視庁機動隊観閲式が毎年5月下旬~6月中旬(前身である「警視庁予備隊」の創設日である5月25日に併せて)に実施されている[21]なお、1951年から1972年まで、自衛隊の観閲式が行われていた

1970年3月20日フジテレビの深夜番組『ナイトショー』で、「絵画館前のイチョウ並木に隠された台本を見つけ、番組に届けたら賞金1万円をプレゼント」という宝探しの企画が発表された。これを聴いた視聴者が深夜のイチョウ並木周辺に約100人が殺到、交通事故も起きる騒ぎとなった[22]

脚注

  1. 岡田三郎助苦心の力作「観艦式」完成『大阪毎日新聞』昭和11年4月21日、壁画八十枚搬入、完成記念式を挙行『中外商業新報』昭和11年4月22日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p708 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  2. 聖徳記念絵画館 『土木建築工事画報』 第2巻 第12号 工事画報社 1926年大正15年)12月発行
  3. 砂本文彦「続・生き続ける建築―7 高橋貞太郎」INAX REPORT No.185。『月刊文化財』574号p25では「設計は、大正七年に実施された設計競技の一等当選案(小林正紹案)を原案とし、明治神宮造営局において佐野利器指導のもと、高橋貞太郎、小林政一が実施設計を行った」としている。
  4. 藤岡洋保「明治神宮の建築」『月刊文化財』574号(第一法規、2011年平成23年)、pp. 4–5
  5. 【日本再発見たびを楽しむ】聖徳記念絵画館(東京都新宿区)壁画でたどる明治の軌跡『産経新聞』朝刊2018年9月23日(地方面)2018年9月30日閲覧。
  6. 明治神宮外苑 名所紹介(史跡・名木)”. 明治神宮外苑. 2023年3月10日閲覧。
  7. アイランズ 『東京の戦前 昔恋しい散歩地図』 草思社 2004年(平成16年)1月30日発行第1刷
  8. 【今昔まち話】新宿外苑のイチョウ並木(東京・港)兄弟姉妹の木146本 110歳に『日本経済新聞』夕刊2018年9月29日(社会面)2018年10月6日閲覧。
  9. 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日、127頁。ISBN 4-534-03315-X。
  10. 約272.7cm×約252.4cmが36面、約272.7cm×約242.4cmが24面、約272.7cm×約232.1cmが12面、約272.7cm×約212.1cmが8面。
  11. 荒井経 『日本画と材料―近代に造られた伝統』「第三章 日本画と和紙」、武蔵野美術大学出版局、2015年10月9日、pp.175-219、ISBN 978-4-86463-034-4。
  12. 今泉, pp. 257–267.
  13. 今泉, pp. 284–287.
  14. 今泉, pp. 287–291.
  15. 情報プレゼンター とくダネ!フジテレビ 2011年(平成23年)12月22日放送
  16. 「日暮里富士見坂」損なうビル計画 神宮外苑絵画館 景観にも影響東京新聞』2011年(平成23年)12月22日朝刊掲載
  17. 東京都景観計画 2011年(平成23年)4月変更部分 東京都都市整備局
  18. 東京2020大会後の神宮外苑地区のまちづくり検討会 第1回検討会資料(2018年5月30日)
  19. 土木学会選奨土木遺産 関東 / 聖徳記念絵画館前通り”. www.jsce.or.jp. 2023年6月3日閲覧。
  20. ワービット舗装:新宿区”. www.city.shinjuku.lg.jp. 2023年6月3日閲覧。
  21. 警視庁機動隊が観閲式=災害救助部隊など1,900人行進リンク切れ] - 時事ドットコムニュース
  22. TVクイズの宝捜し 深夜に衝突事故『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月21日夕刊 3版 11面

参考資料

  • 明治神宮外苑 編・発行 『明治神宮 聖徳記念絵画館壁画』新版1992年
  • 明治神宮編 『明治神宮叢書 第二十巻 図録編』 明治神宮社務所 国書刊行会、2000年11月、ISBN 978-4-336-04230-9
  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』574号、第一法規、2011年(平成23年)
  • 明治神宮外苑編 『聖徳記念絵画館オフィシャルガイド~幕末・明治を一望する~』 東京書籍、2016年9月、ISBN 978-4-487-81044-4
  • 今泉宜子『明治神宮 「伝統」を創った大プロジェクト新潮社新潮選書〉、2013年2月。ISBN 978-4-10-603723-8。

外部リンク

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