膳部菩岐々美郎女
経歴
推古天皇6年(598年)聖徳太子の妃となる[1]。四男四女[5]を生んだが、そのうちの舂米女王(つきしねのひめみこ)は異母兄である山背大兄王の妃となった[3]。聖徳太子には信頼され、太子は「死後は共に埋葬されよう」と言ったと伝えられる[1]。推古天皇30年(622年)聖徳太子と共に病となり、太子が亡くなる前日(旧暦2月21日)に没した。聖徳太子の墓所である磯長陵(しながりょう)に合葬された[6]。
参考文献
- 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年、ISBN 4642022430
- 竹内理三他編『日本古代人名辭典』第二巻、吉川弘文館、1959年、ISBN 4642020020
出典
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