與賀神社
與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。旧社格は県社。
| 與賀神社 | |
|---|---|
![]() 正面・三の鳥居。奥に朱塗りの楼門 | |
| 所在地 | 佐賀県佐賀市与賀町2-50 |
| 位置 | 北緯33度14分54.91秒 東経130度17分41.27秒 |
| 主祭神 | 与止日女神(=豊玉姫命) |
| 社格等 | 旧県社 |
| 創建 | (伝)欽明天皇25年(564年) |
| 本殿の様式 | 五間社流造 |
| 例祭 | 10月第4日曜日(おくんち) |
| 主な神事 |
4月19日(春祭・祈年祭) 7月29日(夏祭・夏越大祓) 8月7日(七夕祭) 12月6日(新嘗祭) |
| 地図 |
![]() 與賀神社 |
「与賀神社」とも書き、官公庁での案内など大部分はこちらの表記が用いられている。
祭神
歴史
社伝によれば欽明天皇25年(564年)の創建で、当初は土地開拓の鎮守神であったと考えられている。創建について、佐賀県公式サイトでは「佐嘉郡小津西郷の塚原大明神を遷して祀ったもので、初め芦原大明神と称した後に、朝廷から与止日女大明神の神号を与えられ、勅願所となったと伝えられる」としている[1]。また佐賀市史には「「藤龍家譜」によると与賀社大明神・前名塚原大明神(与賀町・与賀神社)を鬼門の鎮守としたのである。」とある。社伝によれば鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦2年(1212年)に北条義時が社殿を再興、寛元3年(1245年)に執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたとされている。
詳細が残るのは少弐氏が北九州で勢力を誇ったころからで、建長3年(1251年)に与賀郷の地頭であった少弐資能が洪鐘一口を寄進した記録が残る。さらに時代が下り室町後期の文明14年(1482年)には、大内氏に敗れた少弐政資が父教頼の旧館があったこの地に逃れ与賀城を築き、神社を鬼門の鎮守として社殿を修復した。このとき造立した楼門は佐賀県下最古期の建築物とみられており国の重要文化財に指定されている。
少弐氏没落後もこの地を治めた龍造寺氏、鍋島氏からの崇敬を集め、特に鍋島氏は藩祖鍋島直茂が朝鮮出兵の際に武運長久を祈願し、後にその報賽として社殿、拝殿、神輿などを寄進したほか、初代鍋島勝茂も毎年掃除人夫120人を給付し、他に社領として65石5斗を寄進した。また、「佐賀荘正一位与止日女大明神」の銘を持ち国の重文でもある三の鳥居(肥前鳥居)が鍋島直茂夫人藤女(陽泰院)によって献納されるなど数々の寄進をしている。さらに現在残る本殿・拝殿は宝暦8年(1758年)に鍋島宗教(6代)重茂(7代)父子が造営したものである。
主な境内社
文化財
重要文化財(国指定)
- 与賀神社楼門
- 室町時代後期 - 安土桃山時代。1913年(大正2年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定された。総丹塗で正面三間、側面二間、屋根は入母屋造で当初杮葺であったが後世銅板葺屋根に改められた。楼門は、与賀城の城門[3][4]が残っている伝承がある。

- 与賀神社三の鳥居及び石橋
- 太刀 銘 康(以下不明)(伝康光)
- 与賀神社の御神刀として伝わる。銘は一部不明だが、備前国(岡山県東部)長船康光の作とされている。刃の長さ二尺四寸、手の内七寸七分、鎬造、反り八分、刃紋小乱れ。藩祖鍋島直茂が所望したが神慮を畏り、「与賀神社の永代の神宝物とせよ」と仰せつけたとの伝がある。
国の登録有形文化財

- 与賀神社本殿・幣殿・拝殿
佐賀市重要文化財
- 掛軸 与賀大明神縁起図
- 筆者は永松玄偲。毎年4月19日、神社の春祭の日に公開される。
佐賀県天然記念物

- 与賀神社の楠
脚注
- 佐賀県文化財データベース(佐賀県サイト、2016年5月5日閲覧)
- 「十日恵比須大祭」始まる 佐賀市・与賀神社佐賀新聞 - 2016年01月09日
- 渡辺文吉『武藤少弐興亡史』 海鳥社、1989年、p.184に記述あり。
- 佐賀県教育委員会『佐賀県の中近世城館 第2集 各説編 1 (三養基・神埼・佐賀地区) 』佐賀県教育委員会、2013年3月、p.31に記述あり。
- 与賀神社(佐賀市サイト、2016年5月5日閲覧)
- 与賀神社「星祭図」190年ぶり修復 7日お披露目佐賀新聞 - 2015年08月07日
参考文献
- 与賀神社略記
- 少弐神社由緒
外部リンク
- 公式サイト
- 佐賀県の文化財紹介 - 佐賀県教育庁文化財課
- あゝ佐賀城その歴史と周辺(与賀神社) - さがの歴史・文化お宝帳
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