留袖
留袖(とめそで)は、女性が着用する比較的短い袖型に仕立てられた着物。既婚女性が着用する最も格の高い礼装である(色留袖は既婚未婚を問わず第一礼装として着用される)[1]。西洋のイブニングドレスに相当するが、イブニングドレスのように時間帯の制約はなく、昼夜問わず着用できる。



特徴
着物が現代の形態にほぼ類似した形になったのは江戸中期とされている[2]。留袖の袖丈は鯨尺1尺3寸(49cm)から1尺6寸5分(62.5cm)程度である[3]。
近世初期には振袖や留袖が存在したが、現代の振袖や留袖とは相違がある[2]。近世初期には、振袖は身八ツ口があり脇の開いたもので「脇明」と称され、留袖は身八ツ口がなく袖は身頃に縫い付けられていたため「脇塞(わきふさぎ)」または「脇つめ」と称された[2]。このうち留袖にあたる脇塞の小袖は17歳から18歳頃から着用され成人の衣料とされた[2]。そのため一定の年齢になると振八つ口を縫い留めて短くする習慣があった[注釈 1]。
現代の留袖の原型は、化政文化華やかな頃に江戸で芸者から流行が広がった、江戸褄(えどづま)と呼ばれる下半身部分のみに模様の入った(裾模様)着物である。裾模様は、衽部分が最も高く、前身頃・後身頃と、7:5:3の割合で低くし、また、年齢が上がるほど模様全体の高さを下げるのが一般的である。古くは左右同じように裾模様を置いたが、昭和に入って、上前の衽から下前の衽の裾に向かって斜めに模様を置いたものが広まった[4]。
留袖は婚礼の振袖の袖を短く仕立て直したことに由来している[1]。江戸後期の町人文化の中で黒地縮緬に五つ紋付の振袖を婚礼衣装とする風潮は生まれていた[5]。しかし本来、留袖は振袖をリサイクルしたものであったので地色はさまざまだったが、明治時代に西洋のブラックフォーマルの概念が取り入れられ、黒地が正式なものとなった[6]。さらに昭和期の戦時下になると「三襲」と呼ばれた華やかな婚礼衣装は姿を消し、留袖に仕立て直すこともできる黒引き振袖が主流となったことも背景にある[5]。
黒留袖は、戦前は白羽二重または白一越縮緬の下着(下襲)と重ねて着用され、丸帯が合わせられていた。1960年頃には、下着を着用する代わりに、重ね着しているように見せる比翼仕立てとするのが一般的になる。帯についても、1960年代から1970年代にかけて、丸帯から袋帯に簡略化されていく[注釈 2]。1980年代以降は袋帯が一般的となった[7]。夏物は絽[8]
種類
脚注
出典
- “着物の種類”. 京染卸商組合. 2023年1月21日閲覧。
- 鳥居本幸代「1.Kimonoのルーツ(1)小袖時代の幕開け」『繊維製品消費科学』第41巻第2号、日本繊維製品消費科学会、2000年、275-280頁。
- “人生の彩り 晴れ着”. 狭山市立博物館. 2023年1月21日閲覧。
- 『装苑 新年号付録 服装ハンドブック』文化服装学院出版局、1955年1月。
- 道前美佐緒「婚礼衣裳「三襲」について」『名古屋文化短期大学研究紀要』第40巻、2015年3月、41-50頁。
- 小学館 長崎巌『きものの裂のことば案内』2005年、11頁
- 主婦の友社 主婦の友社監修・田中敦子編著『主婦の友90年の智恵 きものの花咲くころ』2006年、145頁、146頁
- 徳川義親著 徳川家当主に学ぶほんとうの礼儀作法226ページ