花倉城
花倉城(はなくらじょう)、または葉梨城(はなしじょう)は、静岡県藤枝市花倉字勝谷(すぐりや)にあった戦国時代の日本の城(山城)。花蔵城とも。1536年(天文5年)に勃発した花倉の乱において最終決戦の舞台となったことで知られる。藤枝市指定史跡[1]。
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![]() 花倉城遠景。2020年(令和2年)3月21日。 | |
| 別名 | 葉梨城、花蔵城 |
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 今川範氏? |
| 築城年 | 1353年(文和2年)? |
| 主な改修者 | 武田氏? |
| 主な城主 | 今川範氏、玄広恵探 |
| 廃城年 | 天文5年6月10日(1536年6月28日) |
| 遺構 | 堀切、曲輪、土塁など |
| 指定文化財 |
藤枝市指定史跡 1986年(昭和61年)3月28日 |
| 再建造物 | なし、標柱・解説板あり |
| 位置 | 北緯34度54分56.2秒 東経138度13分21.1秒 |
| 地図 |
![]() 花倉城 |
概要
静岡県中部、志太平野に臨む山塊の一峰、標高297メートルの城山に所在する。今川範氏によって1353年(文和2年)頃に築城されたと言うが、今川範政が今川氏本拠を駿府に移転した時期とする意見もある[2]。城跡は、南北に伸びる山頂稜線を堀切で区切り本丸・二の丸が築かれ、それぞれの平場に土塁を廻らせている。山頂稜線から派生する他の稜線にも複数の堀切を設けて防御施設としているが、発掘調査は行われておらず、正確な城域は確定していないという[3]。武田氏・徳川氏による改修を受けていない今川氏独自の城郭遺構とされるが、本丸・二の丸間にみられる細い尾根筋を両側の谷に向けて竪堀状に切り開いた堀切などに、武田氏による改修の可能性があると指摘されている[4]。
脚注
- 「市指定文化財一覧表」藤枝市公式HP
- 椿原 2009 pp.110
- 椿原 2009 pp.111
- 椿原 2009 pp.112
- 椿原 2009 pp.110-111
関連項目
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