芸予要塞
概要
瀬戸内海への敵艦船の侵入を阻止するため、紀淡海峡・鳴門海峡・豊予海峡・下関海峡に要塞砲台の設置が検討された。しかし豊予海峡のみは、当時の要塞砲(海岸砲)の最大射程よりも広い幅であったため、芸予要塞が計画された。
芸予要塞の防禦線の選定は、1873年に陸軍雇教師・フランス軍マルクリー中佐の海岸防禦法案を始めとして種々検討を重ね、1897年6月に6箇所に砲台を設置する最終案を決定した。
砲台建設は1897年3月大久野島北部砲台から開始され、1902年2月までにすべての砲台が竣工し、備砲工事も完了した。
豊予要塞の建設が決定したことから存在意義を失い、1924年12月に廃止された。
年譜
歴代司令官
- 本職・芸予要塞砲兵大隊長
- (兼)倉橋豊家 砲兵少佐:1900年5月4日 -
- (兼)内藤滝蔵 砲兵少佐:1904年5月7日 - 1906年4月13日
- (兼)松丸松三郎 砲兵中佐:1906年4月13日 - 1907年10月9日
- (兼)小林盛衛 砲兵少佐:1907年10月9日 -
- 本職・芸予重砲兵大隊長
- (兼)山中茂 砲兵少佐:1907年11月13日 - 1911年11月22日
- (兼)角徳一 砲兵少佐:1911年11月22日 - 1913年8月22日
- (兼)安井義之助 砲兵少佐:1913年8月22日 - 1914年1月13日
- (兼)西郡菊之助 砲兵少佐:1914年1月13日 - 1915年8月10日
- (兼)記録勇助 砲兵少佐:1915年8月10日 - 1916年5月2日
- (兼)久間盛一 砲兵中佐:1916年5月2日 -
- 本職・広島湾要塞司令官
脚注
- 『官報』第4915号、明治32年11月17日。
- 『官報』第5092号、明治33年6月25日。
- “土木学会 平成13年度選奨土木遺産 芸予要塞・小島砲台跡”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
- 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
- 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
- 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
- 『官報』第3421号、大正13年1月21日。
- 『官報』第3696号、大正13年12月16日。
参考文献
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 「芸予要塞廃止に関する件」(大正13年「軍事機密大日記 6/7」)アジア歴史資料センター レファレンスコード:C02030185600
関連項目
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
