荏田城
荏田城(えだじょう)は、神奈川県横浜市青葉区荏田町(武蔵国都筑郡荏田郷)にあった日本の城。城の東を古鎌倉街道が通り、南を矢倉沢往還(大山道)が通る[2]。現在は立入禁止になっている[3]。
![]() logo (神奈川県) | |
|---|---|
| 城郭構造 | 丘城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 不明 |
| 廃城年 | 1590年(天正18年)頃[1] |
| 遺構 | 郭、堀、土塁、土橋 |
| 再建造物 | なし |
| 位置 | 北緯35度33分39.22秒 東経139度33分21.41秒 |
| 地図 |
![]() 荏田城 |
歴史・沿革
構造
早渕川支流の布川とその支流の赤田川に挟まれた比高20メートルほどの舌状台地の北東端を利用して築かれた、全長約160メートル幅約70メートルほどの小規模の城郭である。主郭と西郭からなる連郭式の縄張りであり、2つの郭はそれぞれ空堀で囲まれて土橋でつながる[1]。
周辺
城の北東にある観福寺近くの山は「新編武蔵風土記稿」に敵見塚として書かれ、鎌倉街道を両側から押さえる支砦と考えられている[2]。
城の東にあった荏田宿には、1861年(文久元年)に造立された中宿常夜燈が残されている[7]。
名馬「小黒」にちなむという伝説のある小黒谷の地名は、現在もバス停の名前「小黒谷戸」に残されている[8]。
荏田源三が城から放った矢が落ちたという矢羽根には矢羽根不動堂がある[9]。
出典
- 坂本彰『鶴見川流域の考古学 最古の縄文土器やなぞの中世城館にいどむ』百水社、2005年、156-165頁。ISBN 4-434-05722-7。
- 『日本城郭大系 第6巻 千葉・神奈川』新人物往来社、1980年、316-317頁。
- 『訪ねて楽しい大山街道』川崎市大山街道ふるさと館、2012年、23頁。
- 西ヶ谷恭弘『神奈川の城 <下巻>』朝日ソノラマ、1973年、238-239頁。
- 大類伸『日本城郭全集4』人物往来社、1967年、86-88頁。
- 緑区史編集委員会『横浜緑区史 通史編』緑区史刊行委員会、1993年、371-372頁。
- 港北ニュータウン郷土史編纂委員会『都築の民俗 横浜市・港北ニュータウン郷土史』港北ニュータウン郷土史編纂委員会、1989年、355頁。
- 横浜市青葉区役所区政推進課『青葉区ガイドマップ・防災マップ』横浜市青葉区役所区政推進課、2015年。
- 相澤雅雄『歴史の舞台を歩く - 横浜・緑区』昭和書院、1991年、16-17頁。ISBN 4-915122-62-X。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.

