葛西晴重
葛西 晴重(かさい はるしげ)は、戦国時代の大名。陸奥葛西氏第14代当主[1]。子に守信(もりのぶ)、晴胤。養子に晴清(伊達稙宗の七男)。
凡例 葛西 晴重 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 |
| 生誕 | 文明元年(1469年) |
| 死没 | 天文2年12月21日(1534年1月5日)? |
| 別名 | 重信、稙信[1][2] |
| 官位 | 従五位下、陸奥守、壱岐守[1] |
| 氏族 | 葛西氏 |
| 父母 | 父:葛西政信[1] |
| 子 | 守信(稙清)、高信(晴胤)[1]、養子:晴清 |
略歴
文明元年(1469年)、第13代当主・葛西政信の三男として生まれる[1]。永正3年(1506年)の父の死去により家督を継いで当主となる。慣例により、室町幕府第12代将軍・足利義晴より偏諱の授与を受けて晴重と名乗る。
天文2年(1534年)12月21日、死去。享年65。一説に享禄4年(1531年)に死去したとも[1]。長男の守信や養子の牛猿丸(晴清)が早世していたため、家督は三男の晴胤が継いだ。また、一説によれば養子の牛猿丸とは晴胤のことであり、晴重が養子として迎えたものとされている[3][1]。
脚注
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