藤原師基 (中関白家)
経歴
後冷泉朝にて右馬頭や皇后宮権亮(皇后は藤原寛子)を経て、康平6年(1063年)右中弁に直任される。治暦元年(1065年)左中弁に昇任され、治暦3年(1067年)2月には蔵人頭(頭弁)に補せられる。しかし、同年より病気のために出仕できなくなり、治暦4年(1068年)3月に蔵人頭を辞し、治暦5年(1069年)には左中弁も解かれて若狭守として地方官に転じた。
官歴
注記のないものは『弁官補任』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
- 『春記』
- 『尊卑分脈』
- 『中右記』嘉承元年6月5日条
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